英語教師の実験台


ヒロの平和部隊訓練所では東南アジアへ派遣される若者たちが「英語」の教え方を習っていた。そこへ「英語に冒されていないモルモット」が入って来たと思ったのだろうか、夜7時から2時間、私1人に私と同じ年頃の先生4人(男2人・女2人)が英会話の教え方をあれこれ実験していた。

4人とも早口で喋るので、理解できなかった。しかし、みんなニコニコとしていて忍耐強く、楽しい時間だった。

私が「ワシントン大学の大学院に留学するのだ」とようやく英語で言ったら、全員驚いて、しばらく沈黙が続いた。


スチュワーデス


8月末、ホノルルからノースウェスト航空(生まれて初めてのジェット機)でシアトルへ飛んだ。機内はガラガラで、スチュワーデスは全員私より背が高く、美人であった。

暇なのか、私の隣に座って雑談をしていた。

「ワシントン大学の大学院へ行くんだ」と言ったら、「頭がいいのね」と深く感心した顔をしたので、より一層美人に見えた。

当時のジェット機は、今のボーイング747と比べるとエンピツのように細く見える(3、40年前のスチュワーデスたちは、美人コンテストに出られるほど綺麗であり、知性のある顔立ちをしていた。若い女性が憧れた職業であった)。


ポーランドに到着?


5時間ほど飛行した後、機内放送があり、恐ろしい目に遭う。「シアトルが濃霧なので、ポーランドに着陸いたします」と涼しい声で通達である。

「ポーランド?いつの間にポーランドに来たのだ。シアトルにはホスト・ファミリーが出迎えに来ているのに」と涙も出ない大パニック。ノースウェストは、早朝の霧の深い「ポーランド」に着地した。灰色の小さな滑走路が地獄への道に見えた。


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手荷物を抱え、大慌てで飛行機から降りようとすると、スチュワーデスが「手荷物は置いといても大丈夫よ」と言う。彼女の英語は分かったが、私は手荷物を持ったまま、ドタドタと飛行機から降りた。夜明け前の暗い空港ロビーに入った。

誰もいない。

西鋭夫著『日米魂力戦』

第1章「遊学1964年」-12