徴兵通告


背が高くがっしりとした24歳の友人は数学の秀才だった。彼がワシントン大学の大学院博士課程に入学した直後「徴兵通告」が来た。勉強を中断したくなかった友人は、薄い眼鏡の裏にあきらめの苦笑を作り、「海兵隊に入る」と言った。世界最強の国が遠く離れた熱帯雨林で死闘を繰り広げていた1968年だ。

ベトナム戦争は激化の一途をたどり、徴兵を免除されていた大学生も兵役につくように法律が書き換えられてゆく。「学徒出兵」。国家非常事態である。


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1万機目の撃墜


1968年1月、ベトナムで1万機目の米軍戦闘機が撃ち落とされた。同年、ベトナム戦線で戦っている米兵は56万人にまで膨れ上がる。最新兵器を持った米軍、ベトナム全土の制空権とベトナム沿岸の制海権を押さえたアメリカが勝てない。

北ベトナムのゲリラは死を恐れず南へ降りてくる。南ベトナム軍は逃げ腰だ。

私が在学中アルバイトをしていた社会科学研究所の上司の長男(20歳)も徴兵通告を受けたが、彼はカナダへ逃亡した。


ドラフト・ドッジャー


逃亡者たちは「ドラフト・ドッジャー(徴兵を巧みに避ける者)」と呼ばれ、母国を捨てる極端な行為でベトナム戦争への反対を表現した。ドラフト・ドッジャーたちは、人を殺さねばならない戦争への「良心の呵責」から徴兵拒絶の行動に出たのか、ベトナム戦争がアメリカの国益に反すると判断したためなのか、それとも無駄死の恐怖からか......。

「真の英雄」と呼ばれたり、「裏切り者」「臆病者」と見下されたり、評価は様々である。

カナダへ逃れ、母国に戻れない若者の数(ドラフト・ドッジャーと脱走兵)は3万人以上と言われているが、未だに正確な統計はない。これらの若者の行動は、ベトナム戦争終結後も重大な社会問題へと発展してゆく。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」-1