ベトナム戦争


「ベトナム戦争は善か悪か」の道徳論が沸騰し、参戦派(タカ派)と反戦派(ハト派)が国内で流血の闘争を行い、社会が混沌としてきた。繁華街でタカ派とハト派が怒鳴りあっているのは普通の光景であった。

アメリカは怨霊にとりつかれたかのように激しくもがくが、逃げ切れない。

駐日米国大使を1977年から88年まで務めた上院議員マイク・マンスフィールド(2001年10月没)も反戦運動を推進した著名人の1人であった。


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ベトナム戦争の様子



人種差別


白人優位の一枚岩に大きな亀裂が見えた時、永い間押さえつけられていた人種差別の鬱積が破壊的な暴動となって各地で爆発した。ロサンジェルスでの黒人たちによる破壊、放火、略奪は全米で放映され、人種差別の根の深さを白人社会に見せつけた。

34名が殺された。私もこの暴動をテレビで観た。次々と勃発する暴動で、アメリカが内部から崩壊すると思われるほどの危機的な状態である。


ボート・ピープル


南北のベトナム市民と将兵の戦死者は200万人。

戦傷者も300万人以上と言われる。

ベトナム戦争が終わった1975年には、130万人の戦争避難民が帰る家も町もなく、放浪を続ける。

ボート・ピープルと呼ばれた難民は南シナ海で漂流を続け、多くは溺死し、また多くは海賊に襲われ暴行され殺された。

西鋭夫著『日米魂力戦』

第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−4