反戦運動の拡大


(13)1967年に、ベトナム駐在米兵は38万9000人まで膨れ上がる。最新兵器を持っている米軍が裸足のベトコンに勝てない。戦死者、腕や足や目をなくした兵士たちがアメリカ本土に戻ってくる。

「ベトナムの市民戦争になぜアメリカが首を突っ込むのか」「ベトナムはアメリカ本土を1度も攻撃してないではないか」という意見が、大学でも一般家庭でも討論され、「反戦」が常識となってきた。米軍内にもベトナム反戦運動が広がり始めた。

激しい野火のように広がってゆく反戦運動にもかかわらず、ベトナム戦争はさらに激化してゆき、焦燥感と絶望感が米全土を覆い尽くす。


「人殺し」の烙印


ベトナム戦線から帰国した兵士たちは、国のために戦ったのだが、感謝もされず、歓迎もなく、「人殺し」として社会の冷たい視線を受けた。

参戦し帰国した若い兵士たちは、「国のために戦った」という誇りも顔に出せず、屈辱を胸の奥深くに隠し、寂しい日々を送ることになる。

参戦した若者の鬱積した誇りや屈辱は、アメリカのおおらかな精神を冒してゆき、その後遺症が永く米国民を苦しめる。ワシントン大学へ復学してきたベトナム参戦の学生たちは自分の「前科」を隠していた。


ミイライ(ソンミ)村の悲劇



1968年3月16日、武装したベトコンと非武装の農民との区別もできなかった米兵たちが、南のミイライ村で、無防備の老女、女、子供たち300人以上を自動小銃で惨殺した。米陸軍はこれを1年8ヵ月間ひた隠しにしていたが、マスコミに暴露された。


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ソンミ村虐殺に怯える人々


勝利の兆しが見えず、米国民からも冷たい目で見られていた戦争で、陸軍参謀局の神経も麻痺状態になっており、「真実」「正義」「善・悪」の観念も崩壊しつつあったのだろう。

参謀局の狂気に近い焦燥惑は、ソ連と中国がベトナム戦線に関わってきたら原水爆弾を使用しなければならないという提案にまで発展していった。

西鋭夫著『日米魂力戦』

第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−17