人種別の宿舎


缶詰工場の宿舎は人種別。フィリピン人とイヌイットは、それぞれ古い2階建ての棟。日本の古い木造の学校のような建物だった。アリュー人は1階建ての長い平屋。

白人は1番良い建物。新しい白いペンキを塗られていて、ピカピカしていた。

日本人の私とおじさんは、白人の棟。

なぜ、おじさんと私が白人の棟に個室を与えられたのか。


イクラ成金


「銭」になるものなら、地球の果てまで怖いもの知らずの者ども、日本経済の戦後復興に大きな役割を果たした男たちが、アラスカでゴミになっていたものをカネにしてくれたからだ。日本の商社マンが捨てられていた鮭の卵を買った。

日本の「カネ」が、アラスカの人種差別を「一時停止」にした。多額の「カネ」を持ってくる日本人は特別扱いである。

イクラおじさんと私が白人村に入居させられたのは、白人の工場長がとってくれた優遇措置であった。


特別白人


しかし、おじさんも私も白人村にいづらく、おじさんはイヌイット棟、私はアリュー人棟に移住した。白人たちが私たちを差別したからではない。私が白人の「人種差別」に対して毅然とした正義感をもって移動したのではない。

私たち2人が「白人村」に住めば、私たちの下で働くイヌイットとアリュー人労働者が「日本人白人」に対して軽蔑の思いを持ち、彼らの尊敬の念を失うと思ったし、私たちも「特別白人」にしてもらわなくても良いと思ったからだ。

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工場長は私に「ここの方が居心地が良いと思うよ」と引き留めてくれたが、イヌイット、アリュー人、フィリピン人たちは、私たち2人の「民族大移動」を驚いた顔で見物し、うれしそうな笑みを浮かべていた。

工場長の言うとおり白人棟の方がずっと快適であった。


差別社会の中の日本人


「特別白人」のおじさんと私が「優」から「劣」に自ら移動したので、工場長及び管理職の人たちは、自分たちが人種差別(アメリカで最悪の社会罪と見られている行為)を公然としていることに気付いたのだろうか、私たち2人に対して悪意を持つことなく少し距離のある尊敬の念を持って接しはじめた。

「アパルトヘイト」で残忍な人種差別の代名詞となった白人至上国の南アフリカでも、日本人は「特別枠の白人」として優遇されていた。

また、有色人種大嫌いで、移民は「白人だけ」を1960年代まで国策としていたオーストラリアでも、日本人は「白人として扱う」と優遇を受けた。

これらは全て、日本の「金」「富」のためである。お金は潤滑油なのだろう。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第3章「アラスカ半島でイクラ造り」−4