原爆投下


1945(昭和20)年の真夏、8月6日、午前8時15分、ウラニウム原子爆弾が広島を死の町にし、8月9日、プルトニウム爆弾が美しかった長崎を殺した。

日本帝国の夢は悪夢の瓦礫となった。


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東京湾に意気揚々と入港してきた、米国太平洋艦隊の戦艦ミズーリ号の甲板で、9月2日、日本帝国は正式に降伏した。

ミズーリ号は、ホノルルの真珠湾に大勝利の記念艦として大切に保存されている。


漁船の締め出し


「イクラ造り」の話が脱線しているのではない。

日本敗戦で、アメリカは戦前からもめていたアラスカ鮭に決着をつける。

日本降伏のわずか26日後、1945(昭和20)年9月28日、トルーマン大統領は「米国大陸棚で他国の漁業活動は許さない」と宣言をする。飢えた敗戦国日本が、鮭漁船をアラスカへ送り込むかもしれないとの憶測から先手を打ったのだ。

さらに、同年11月13日、トルーマン大統領は、東京に君臨していたマッカーサー元帥に極秘電報を送り、「日本の漁船を日本列島の近海から出してはいけない」、日本列島の周りに「マッカーサー・ライン」(檻)を張り巡らし、そのせまい内側に「日本漁船を封じ込めろ」と命令を下した。

「アラスカの貴重な鮭資源を護るためだ」と明言した。


マッカーサー・ライン


食糧が極度に不足していた日本は、「マッカーサー・ライン」の内で魚を捕りすぎ、アメリカから食糧をもらいながら乞食同然の生活に落ちていった。マッカーサー・ラインの外へ出て漁をしようとしても、怖い米海軍の監視船と偵察機が目を光らせている。違反した日本の船は「元帥の命令に背いた」という重罪で船を没収されるか沈められる。

マッカーサー・ラインが解除されたのは、日本占領が終わった1952年4月28日(サンフランシスコ平和条約が発効した日)のわずか3日前、4月25日である。これで、日本の漁船が北太平洋の鮭漁を自由に操業できることになったのか。

そんな甘い日米関係は一度もない。これからもない。


漁船封じ込めのロジック


日本漁船を封じ込むため、米政府はまた先手を打っていた。今度は「国際条約」という美しい名目で、日本を北太平洋の鮭漁から完全に締め出す策略に出た。次の順序で、日本は公海である北太平洋の鮭漁から完璧に外された。

マッカーサー・ライン。筆者が発見した地図を研究論文に盗用されたものを忠実に復原した(『日米魂力戦』100〜103ページ参照)。

(1)第2次世界大戦の終結と同時に始まった米国対ソ連(現ロシア)の冷戦は、1950年6月25日朝鮮半島で爆発し、悲惨な殺し合いとなった。北朝鮮がソ連と中国の軍事援助を受け、半島の征服に乗り出した。アメリカは悪魔の共産主義がアジア全土を侵すのではないかと恐れ、占領下の日本を独立させ、経済を復活させ、日本をアジアの砦にすることがアメリカの国益に合うと判断した。

(2)「日本を独立させる」という動きを察知した米太平洋沿岸の労働組合は、和平交渉が始まる前に、「米国政府は、日本が米国とカナダの漁業活動に絶対に不利益をもたらさないという確約を日本から取り付けなければならない。さもなくば対日和平に大反対する」と断言した。1950年4月18日の公開文である。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第3章「アラスカ半島でイクラ造り」−11