国益と戦争


1945年に武力で負け、1960年代から世界市場をめぐり経済戦争を戦い、1980年代に日本が勝ったと思ったのも束の間、1990年代には完敗し、今や日本は怒濤のようなアメリカの精神力に飲み込まれる寸前である。

アメリカには国民・国益を守り発展させるためには死をも辞さない勇猛な将兵たちや学者たちが大勢おり、私は「アメリカは戦争が怖くないのか」と疑わせるような討論会に何度も出席した。

今現在、米軍が全力を挙げて世界中のテロリスト及びテロ国家と戦争をしているが、一般市民は反戦運動にさほど強い興味を示していない。マスコミがニューヨークやサンフランシスコでの反戦デモを大きく報道しているのは珍しい現象だからだ。


報道姿勢を問う


日本では、全米が反戦デモで騒然としているかのように伝えられているが、広いアメリカで反戦デモは、数少ない大きな町で一時的な発作のように起こっているだけだ。

米国民のブッシュ大統領の支持率は、イラクに先制攻撃をかけ、米将兵が戦死しはじめた後でも80%である。「公平」を謳っている日本のマスコミは、米国民がどれほど強くこの第二次湾岸・イラク戦争を支持しているかを正確に報道すべきではないのか。

アメリカ全土で盛り上がっている「参戦ムード」を、日本のマスコミの「反戦願望」の色メガネを通して報道してはいけない。


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ジョージ・H・W・ブッシュ大統領


情熱なき「反対」


先日、昼食時の正午から1時頃まで、スタンフォード大学フーバー研究所の前、私の研究室があるフーバー・タワーの玄関前で、70人ほどの学生たちと教授2人が、「イラク戦争反対」デモを行った。

「ネオコン」の本部と思われているフーバーが「的」にされたのは、フーバー研究所教授たち25名(例、国家安全補佐官のライス女史)がブッシュ大統領のホワイト・ハウスに入っているからだ。

ここアメリカで、流血のベトナム反戦運動を体験した私には、第二次イラク戦争に反対している人たちには命を懸けたような情熱が見えない。「戦争」と聞けば、反射的に「反対」と叫んでいる雰囲気である。

アメリカは富国強兵で世界最強の国になった。武力と財力と文化力で世界を牛耳っているアメリカが日本を守ってくれるのなら、誰も日本を攻撃しまい。

だが、日本人の命を他国の武力に託して得た安泰の代償は高い。他力本願は、国の皮膚を破られたよりも深いところで日本が重大な病に冒されていることを映し出している。



西鋭夫著『日米魂力戦』

第4章「国の意識」の違い -5