blog66.jpgFrom:岡崎 匡史
研究室より

「現代中国の父」とも呼ばれる鄧小平(1904~1997)。
鄧小平は、権力闘争による失脚を幾度も経験するという波乱万丈の人生を送った。

鄧小平は「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と「改革開放」を押し進め、中国経済発展の基礎を固めた人物である。

彼は中国沿岸の対外開放を推進し、沿岸地域の経済を躍進させてから、内陸部の開発を前進させるという「二個大局」を唱えた。

1984年2月19日、鄧小平は「鉄の女」と名高いマーガレット・サッチャー英国首相と交渉し、1997 年7月1日に英国が香港島を返還することを約束させた「英中共同声明」の立役者。彼は「アヘン戦争」によって英国に奪われた香港島が返還される数ヶ月前、1997年2月19日に死去した。

西部大開発

鄧小平の死去から2年後の1999年、彼の置き土産であった内陸の「西部大開発」が本格的に始動した。中国西部の六省(山西、甘粛、青海、四川、雲南、貴州)、五自治区(寧夏、チベット、内蒙古、広西、新疆)、一市(重慶)を開発し、東部との地域間格差の是正を目指す。

中国の指導者層にとっては、西部大開発がチベットや新疆ウイグル自治区への支配の足がかり。西部開発こそが「国家統一の促進、社会の安定の維持、国境の強化を根本的に保障するもの」と見なしている。

第5代国家主席の江沢民は、「西部大開発を実施することは、21世紀の中国経済発展を牽引する」ことであり、「中華民族の発展のための戦略でもある」と断言。

中国のチベット支配

2001年5月、当時国家副主席であった胡錦濤(1942~現在・第6代国家主席)は、「チベットの安定を保つことが、全国土の状況を全般的に安定させるために絶対必要である。ここにチベットに住むあらゆる民族の根本的利益とチベットの発展の保証がある。我々は揺らぐことなく祖国の統一を守り、分離独立に断固たる反対の姿勢を取らねばならない」と言明した。

西部大開発という大義の名のもとに、中国はチベットを支配し、中国内地とチベット高原を結ぶ交通網を整備する。

1950年以前に建設された道路は、自然の地形に沿って作られた土砂の道で、交通は不便極まりないが、自然体系が維持されていた。だが1950年代以降、交通の効率性を重視して、コンクリートやアスファルトで道路を舗装し、トンネルや橋をつくり交通網を整備。道路だけでなく、2006年には北京からラサを結ぶチベット鉄道(青藏铁路)が開通し、中国のチベット支配が一段と加速した。

チベット鉄道

チベット鉄道の建設は、1957年に毛沢東が唱えたものだ。

翌年の1958年に、青海省とゲルム(格爾木)を結ぶ第一期工事が着工され、20年以上もの歳月をかけて、1979年に819kmにわたる路線が出来上がった。2001年、ゲルムからラサを結ぶ第二期工事が開始され、142kmの路線が2006年に完成。北京からラサの旅客輸送4,064kmを、片道46.5時間という短時間で往来することが可能となった。

チベット鉄道はタンラ山脈(唐古拉山脈)を超えて走るので、高山病予防のために車両は気密構造になっている。最高地点は海抜5,072mで、「世界の屋根を走る鉄道」とも呼ばれる。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・浦野起央『ユーラシアの大戦略』(時潮社、2008年)
・ CRESTアジア流域水政策シナリオ研究チーム『アジアの流域水問題』(2008年、技報堂出版株式会社)
・エリザベス・エコノミー『中国環境レポート』(築地書館、2005年)