blog67.jpgFrom:岡崎 匡史
美術館より

スタンフォード大学の博物館には、日本の美術品が展示されている。

雪舟(せっしゅう・1420〜1506)、葛飾北斎(かつしかほくさい・1760〜1849)、熊代熊斐(くましろゆうひ・1712〜1773)をはじめ、天目茶碗、漆器、仏像まである。

なぜ、日本の重要文化財がスタンフォードにあるのか?

日本への憧れ

1884(明治17)年、スタンフォード夫妻の溺愛する一人息子スタンフォードJr. が15歳の若さで亡くなる。ヨーロッパ旅行の最中での出来事だ。スタンフォードJr.は、アメリカに帰国したら、今度はアジアを旅行して、日本と中国の美術品を集めたいと思っていた。

息子が土を踏むことが出来なかった日本。しかし、息子の希望を叶えるかのようにスタンフォード夫人は2度も日本を訪れている。

池田清助

1度目の訪問は、1902(明治35)年の春。このとき、スタンフォード夫人はすでに74歳だったが、東京と京都の観光名所を訪れ日本美術に魅了される。夫人は、外国人向けに美術品を販売する「池田合名会社」で、木製の仏像や日本の古美術を購入した。

「池田合名会社」とは、池田清助(いけだせいすけ・1839〜1900)が設立した美術商である。紀州藩(現在の和歌山)出身の池田清助は、行商人から身を立て、神戸で「越後屋」という雑貨を販売する商売を始めた。さまざまなビジネスに手を出し成功と失敗を繰り返したが、京都の東山に外国人向けの「美術館」を作った。この「美術館」で展示されている作品は購入できたので、当時の外国人にとって、京都観光で美術品を買うのが楽しみであったようだ。

1895(明治28)年、池田清助は美術品蒐集や社会事業の功績が認められ「緑綬褒章」を授与。5年後の1900(明治33)年、62歳で逝去した。

スタンフォード夫人 の2度目の日本訪問は、1904(明治37)年5月。夫人は「池田合名会社」を再び訪れる。すでに経営は、池田清助の未亡人と息子が2代目を継いでいる。2代目になると事業が立ち行かなくなっていたようだ。池田清助が蒐集していたコレクションが売りに出されるようとしていた。

池田コレクションと日露戦争

スタンフォード夫人が日本からアメリカに帰国してから、数ヶ月後、2代目池田清助がコレクションと共にサンフランシスコにやってきた。2代目は、英国美術館にコレクションを売るつもりだという。なぜ、蒐集しつづけたコレクションを売るのか?

スタンフォード大学に残されている記録には、1代目が亡くなり未亡人となった妻が、「池田清助」の名前で基金を集め、日露戦争勝利の為に寄付をしたい。そのために、夫がこれまで集めてきた「池田コレクション」を売却したい、と申し出たという。

この話をきいたスタンフォード夫人は、すぐさま「池田コレクション」の購入を決断。27,000ドルで全ての美術品を購入した。

若くして亡くなった息子スタンフォードJr. が日本と中国に興味を抱いていたので、息子の意志をつぐ意味合いがあったのかもしれない。

スタンフォード夫人が支払った27,000ドル。この代金が、2代目から日露戦争の戦費を賄うために寄付されたのかどうが、現在では確認する術はない。

しかし、439点の日本と中国の美術品がスタンフォードの手に渡ったことは事実である。
「池田コレクション」の一部は、いまもスタンフォード大学美術館に収蔵されている。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参照しました。
・Patrick J. Maveety. 1987. The Ikeda Collection of Japanese and Chinese Art at Stanford, Stanford University Museum of Art.
・Karen Bartholomew, Claude Stout Brinegar, Roxanne Nilan. 2001. A Chronology of Stanford University and its Founders. Stanford Historical Society.
・Carol M. Osborne. 1986. Museum Builders in the West: The Stanfords as Collectors and Patrons of Art 1870-1906. Stanford University Museum of Art