U2事件


1960年5月1日、米ソ冷戦が第三次世界大戦になるかもしれないような、とてつもない事件が起きた。CIAの「U2」と名づけられたスパイ機がソ連上空で撃ち落とされ、パワーズ米飛行士が捕虜になり、世界中のマスコミにさらけ出された。

予定されていたアイゼンハワー大統領とフルシチョフ首相のパリ首脳会議は中止になる。パワーズはスパイ罪で10年の監禁・重労働の刑を受けたが、1年9ヶ月後、FBIが米国内で捕まえていたソ連の大物スパイ・エイベル大佐と交換され、本国に生還した。

このU2事件は、米ソの不信感をさらに劣悪なものにした象徴的な出来事であった。ここから「キューバ・ミサイル危機」へと発展してゆき、フルシチョフが若いケネディの「器」を試すことになる非常に危ない賭にでる。「U2」は、現在も世界の上空を飛び、情報を集めている。


社会党の使命


1960年、米ソ世界大戦に巻き込まれるという日本国民の現実的な恐怖を、巧みに安保反対運動に盛り上げたのは、社会党であった。当時の社会党は、現在では想像もつかないほど強力で求心力があった。

国会は安保条約をめぐり審議をするが、議員たちは素手で殴り合い、審議は進まない。テレビ中継で議員たちの殴り合いを見ながら、私は泣いていた。業を煮やした岸信介首相は、5月25日、警察隊を衆議院に導入して厳戒態勢を敷き、強行採決を実行した。これで、反対デモが武力闘争の雰囲気を醸しだし、大乱闘になってゆく。

社会党の書記長「人間機関車」と呼ばれた巨漢・浅沼稲次郎は、学生と一般労働者たちの陣頭に立ち、「安保反対」「アメリカ帝国主義反対」の指導者となった。6月15日の小雨の夜、30万とも40万とも推測されている一般市民と学生が国会議事堂を円状に包囲し、「日本の純粋平和の夢」が壊されるのを阻止しようと絶体絶命の覚悟をあらわにしていた。


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浅沼稲次郎


安保成立


突然、大学生7000人強が国会に乱入し、警察機動隊と「安保賛成の右翼たち」を相手に数時間血みどろの乱闘劇を演じた。東大4年生・樺美智子さん(22歳)が踏み倒されて死亡し、重軽傷1000人の惨劇となる。

6月19日、安保条約が自然成立し、米軍(陸軍、海軍、空軍、海兵隊)が北海道から沖縄までの全土に駐留することが決定したのだ。この安保成立は、米国にとってお目出たい日であったので、アイゼンハワー大統領が訪日し、岸首相にお礼を言う式典の用意までしてあった。

米国べったりの岸首相は大統領訪日を業績の勲章と思っていたが、凶暴化しつつあった反対デモのため、大統領の身の安全を保障することができず、大統領に訪日を取りやめにしてもらう。岸首相の無念は「我が国は国際的信用を失った」という言葉に表れた。




西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 -2