blog76.jpgFrom:岡崎 匡史
研究室より

書店に行くと、いつも辞書が置いてあるコーナーに足を運ぶ。
辞書は書籍のなかでも、コストパフォーマンスが高い商品だからだ。

辞書一冊をつくりあげる労力と年月にくらべたら、辞書はとても安い。

福澤諭吉の苦労を知ると、辞書を購入できる現実に感慨を覚えるはずだ。

ペリー来航

慶應義塾大学の創始者・福澤諭吉(1835〜1901)は、英語の辞書を手に入れることに必死だった。福澤はオランダ語を解する蘭学者であったが、1853(嘉永6)年にペリー提督が船艦(黒船)を率いて浦賀に来航したことで、彼の運命が一変する。

「今まで数年の間、死物狂いになってオランダの書を読むことを勉強した、その勉強したものが、今は何にもならない、商売人の看板を見ても読むことが出来ない、さりとは誠に詰らぬことをしたわいと、実に落胆してしまった」「今我国は条約を結んで開けかかっている、さすればこの後は英語が必要になるに違いない、洋学者として英語を知らなければ迚も何にも通ずることが出来ない、この後は英語を読むより外は仕方がない」(福沢諭吉『新訂 福翁自伝』岩波文庫、1978年)

オランダ語から英語へと時代が激変したことを機敏に察知した福澤は、英語を学ぶことを決意する。このとき、福澤は26歳。

英蘭辞典を求めて

ところが、英語を学びたくとも身近に英語をしゃべる人もいないし、「英和辞書」もない。「英蘭辞典」があれば、オランダ語の知識を生かして、英語を学ぶことができるかもしれない。

福澤は、「英蘭辞典」が幕府の洋学校・蕃所調所(ばんしょしらべじょ)にあることを聞きつけた。入門を許された福澤は、念願の「英蘭辞典」を借りることができたが、辞書を持ち帰ることは許されない。途方に暮れた彼は、一日通っただけで洋学校を断念。

今度は、横浜に向かう商人に頼み、英蘭辞書の入手を依頼する。英蘭対訳発音付の辞書の値段は、5両(現在の価値で約20万円)。福澤は自藩の中津奥平藩(現在の大分県)に嘆願して、英蘭辞典を買い取ってもらった。こうして、福澤は、「字引と首っ引きで、毎日毎夜独り勉強」したのである。

自助努力

幕末の時代にくらべて、現代の日本では至るところに英語が氾濫し、情報は膨大にある。書店に行けば、何百冊もの辞書や参考書が陳列され、どれを選べばよいのか迷ってしまう。

情報の取捨選択が大事なのはいうまでもないが、それ以上に重要なことは、福澤諭吉の学問に対する「精神性」である。

いくら高価なものを買いそろえても、使わなければ意味はないし、それに似合うように「自助努力」が求められる。



ー岡崎 匡史