教授会の真相


(3)日本では「教授会」は、学長や総長を敵対視して団体交渉をする時代錯誤の労働組合である。教授の仕事は、本来個人プレーだ。才能と業績が評価され、それ相応の年俸を貰うべきなのだ。だが、群れをつくり「一致団結をして」と日本人が好きそうな台詞を並べながら、厳しい評価に耐えられない者たちを数に頼って温存させているのが教授会である。

大学教授の世界をプロ・ゴルファーの世界に譬えてみると、教授の甘えがよく見える。プレーの成績に選手生命がかかっているプロ・ゴルファーは、プロにもなれない者たちと群れをつくって団体交渉をしない。トーナメントに遅刻するゴルファーはいない。


少子化の波


教授会が競争原理を頑なに拒絶しても、時のうねりが押し寄せてきた。日本中が心配している急激な「少子化」だ。すでに、数々の小学校は廃校になり統合されている。日本中に林立している大学(国公私立の大学・短大、計1228校、305万人の学生が在籍)が経営維持に必要なだけの学生数を集められない時が来る。

教室に客がこない日が来る。少子化で破産する大学、縮小や合併を余儀なくされる大学が続々と現れる。すでに、2003年の入試では、私立4年制大学の約30%が定員割れを起こしている。国立の有名校と関西・関東の有名私立校だけが生き残れるほどの大津波が大学村を直撃する。

生き残る大学


さらに、文部科学省が2002年10月に大学新設と学部の定員増加を抑制していた規則を撤廃(良い行政)をしたので、大学間の競争が一層激しくなる。限られた数の客を取り合いになり、生き残った大学は米国の有名校のように世界を相手に競争ができるかもしれない。


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私がなぜこれほどまできついことを言うのか。9年間のワシントン大学在学中、ベトナム反戦運動で大学が封鎖状態になった時を除いて、教授の休講は一度もなかったからだ。教授は遅刻をしなかった。大きなクラスでも学生の私語はなかった。今でも、学生の私語はない。スタンフォード大学で「休講」をする教授の話なぞ聞いたこともない。


国家の礎


米国の教育では、大学が一番厳しい。有名校では、秀才たちがキリキリ舞いをしているほど学ぶ量が多い。量が多ければ、必然的に質が入っている。量がこなせたら、質になっている。量がこなせなかったら、落第である。ゴルフや野球やサッカーで練習量の多い者が勝つのと同じである。

日本の教育では、大学が一番楽だ。4年間、本も読まず出席もせず、期末試験の時だけ顔を見せれば、卒業できると言われている。大学教育の衰えは、国家非常事態である。



西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 -25