英露戦争


古いロシアが新しいソ連になっても、インド洋を目指す願望は変わらない。ソ連の南下作戦は、帝政ロシアのそのもので、英国はさらなる警戒心を募らせた。1919年、3回目の英国対ソ連(ロシア)戦争がアフガニスタンで戦われた。

英国はロシアの南下を止めることはできたが、インド植民地兵を数多く最前線で戦死させ、インドの独立運動に火をつけた。アフガニスタンに駐留した英国は、少量の血が絶え間なく流れ出しているかのように時間をかけて消耗していった。


戦争の世紀


ナチス・ドイツが世界征服をもくろみ、第二次世界大戦を始めた。大英帝国は、これが帝国の最後であるかのような勇猛さを発揮し、優勢なドイツのイギリス焦土爆撃にもひるまず、見事な戦いぶりを見せた。ナチス・ドイツと手を組んだ日本帝国も、太平洋とアジア全土を戦火の渦に巻き込み、全面戦争に突っ込んでいった。

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この世界大戦が1945年に日本帝国壊滅で終わり、国際連合が設立された。国連も世界平和に向けて努力をするが、20世紀の後半50年も戦争のなかった年はない。21世紀も戦争で始まった。

インドとパキスタンが1947年に英国から独立を勝ち取った。帝国主義の終焉を察したのか、英国はアフガニスタンからも撤退した。地球上に広がっていた大英帝国の植民地は次々と独立してゆく。世界最大であった大英帝国は、歴史の大きな歯車と共に1回りをしたかのように、北海の小さな島国となっていった。アフガニスタンでは軍閥間での闘争が続き、戦国時代が終わらない。


アフガン侵攻


ソ連はインド洋に南下したい野望をまだ捨て切れない。ベトナム戦争で疲労困憊していた宿敵米国が動けないと読んだソ連は、アフガニスタンに侵略し、10万人の将兵をつぎ込み首都カブールを占拠したが、熾烈なゲリラ戦を13年間(1979年〜92年)強いられた。ソ連兵の戦死者は1万5000人。負傷者3万7000人を出した。

ソ連軍が支配し得た首都カブールでさえも暗殺の町と化し、ソ連兵は戦闘心まで失い、惨敗したまま逃亡するかのように寒い北へ引き揚げた。アフガン人の戦死者総数は100万人以上と推定されている。貧しかったソ連帝国は精神的にも財政的にも消耗し、二万発の核爆弾を抱えたまま、音を立てて崩壊した。


富士山麓のロシア軍機


ロシアの財政危機のため長い間給料を支給されていないロシア軍将兵の多くは、武器密売に手を染めた。武器弾薬庫から高く売れる小型ミサイルなどを盗み出し、それを売却して生活している。

その密売の一例が日本にもある。オウム真理教が富士山麓に毒ガス製造工場を建て、大量殺戮を企てていた。その工場の近くにロシア軍の大型戦闘へリコプター(白色)が一機あった。

テレビ局が使っているヘリより3倍大きい。なぜロシアの軍用ヘリが人里離れたオウム村にあったのか。一般旅行者を厳しく検査している日本の税関は、この軍用ヘリが大きすぎて見えなかったのだろう。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 -33