誇りなき日本


世界第二の経済大国日本は、弱肉強食で戦火終わりなきの真っ只中で、独自の姿を押し出せるのか。日本はアメリカに追従し、次から次へと戦争を続ける帝国に軍資金を出しているが、感謝もされず尊敬もされず、日本の存在まで無視されている。小さなアジア諸国も世界大国の真似をするかのように、日本に「謝罪と金」を恐喝するかのごとく要求してくる。

日本の若者は、このような日本を誇りに思うのか。日本人拉致を知りながら二〇年間無視できる国家に「愛国心」を持てと若者たちに説けるのか。個人を守らない、守れない国は、国も守れない。


勇気と律儀


世界的に有名であった日本人の勇気と律儀は、どこへ消えていったのか。戦後日本が「お金」という富の象徴をかき集めている間に、勇気と律儀は邪魔になったのだろうか。

いや、日本人は勇気と律儀を失ったのではない。個人の品性、国の気位にとってかけがえのない勇気と律儀は、日本精神文化の清らかな底流に流れており、日本社会の温かい「芯」の中に生きている。国の歩みと呼ばれる我々の追憶に遺伝子があるように、日本人が大切にしてきた勇気と律儀さは我々の血の中に、精神の中に流れている。


誇り高き日本の将来へ


人は、教えられなくとも本能で勇敢さを知っている。腐敗を見て、怒りを感じる。不正を見て、内なる正義を感じる。不正と正義の狭間に薄い半透明の膜があり、我々はその膜の存在を知っている。その膜を破り不正に立ち向かう行動を勇気と言う。その勇気の中で律儀さが生まれるのだ。

毅然とした勇気と律儀の行動は、我々の心に感動とときめきを育んでくれる。その勇気と感動が、日本を偉大な国として成長させ、日本文化のルネッサンス(活性化)をもたらし、若者たちの夢とロマンをかき立てる。

勇気は「気位」である。品性とは、勇気に対する心構えである。気位と品性は、個人の顔にも国の姿にも必ず現れる。そして、世界はそれを「日本人の誇り」と呼ぶ。


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西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 -40