blog98.jpgFrom:岡崎 匡史
研究室より

1938(昭和13)年、73歳を迎えた庫吉は、身体に変調をきたす。

庫吉の娘である君子によると、「或朝のこと、父が起きてこないので、母が書斎に行ってみると、父の言葉がおかしいと、驚いて医師をよぶと、かるい脳溢血」が襲ったという。

闘病中、庫吉は「自分ほど幸福なものはない」と家族によく語った。

東南アジア研究


風邪をひいて肺炎を引き起こした庫吉が亡くなる直前に「おれは幸せだよ」と家族に繰り返し言ったたが、「出来ることならもう3年生きたい」とも呟いた。

研究が心残りだったからである。

「自分は南アジアの研究まで手をのばすことが出来なかった」と悔やんだ。

庫吉には南方史を研究する時間は残されていなかった

1942(昭和17)年3月30日の未明、庫吉は死去した。享年77歳。

洗礼


庫吉の知られていない側面に、亡くなる直前に洗礼を受けていたようである。

庫吉の一人娘である君子は、父親との思い出を次のように書き残している。


「病床の祖父を慰めていた子供たちは、おぢいちゃまも私達と一緒に天国に連れていくのだとせっとくしてきかなかった。父はかわいい孫たちの言葉に動かされて、『お前たちはいい子だからおじいちゃまもみんなの行く処に行こうよ!』と云うことで、孫美千代の手によって、額に水をそそがれて洗礼を受けた。このことは誰も知ってはいないことである。父が宗教に対する考え方は、高い山を、どの道から登っても頂は一所と云う考えであった。私が学校でカトリックの教理を学ぶようになっても、洗礼のことは皇室に関係のある父に気がねしていたのだが、父は命の終りに近く、孫の愛によって、愛するが故に、愛する者たちと共に、永遠の幸福を希ったのであろうか。」


死を予期している庫吉にとって「神」への信仰は、身近な家族とも共有できるキリスト教(カトリック)に求めたのだろうか。

庫吉がカトリックの洗礼を受けたことは、孫の芳郎も書き綴っている。


「昭和17年1月、私は祖父白鳥庫吉と祖母茂子と共に茅ヶ崎の別荘で暮らしていたが、その間に祖父母は私の希望もあって二人とも受洗し、祖父はヨゼフ、祖母はアグネスと霊名をつけた。」

雑司ヶ谷霊園


白鳥家のお墓は、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園の一画にある。墓石に刻まれた名前の隣には、洗礼名が彫られている。

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妻の茂子は「エリザベット」(芳郎が証言した「アグネス」ではなかった。芳郎の記憶の誤りか、後に洗礼名を変更した可能性がある)。

長女の君子は「カタリナ」、君子の夫である清は「ヨゼフ」。

孫の芳郎は「フランシスコ・ザビエル」、郁郎は「トマスアクィナス」。

しかし、庫吉の洗礼名は刻まれていない。
謎は深まるばかりである。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・白鳥芳郎「祖父白鳥庫吉との対話」『白鳥庫吉全集 月報10』(岩波書店、1971年)
・白鳥君子「父の思いで(2)」『白鳥庫吉全集 月報7』(岩波書店、1970年)
・白鳥芳郎「上智大学との出会い」『ソフィア:西洋文化ならびに東西文化交流の研究』上智大学、Vol.38, No.3, 1989年。