飢えに苦しむ国民


終戦直後、一椀のイモ粥が日本人にとっては大変なご馳走だった。廃墟と化した都市での唯一の復興の兆しは、あくどいヤミ市の繁盛ぶりであり、学生も教師も飢えをしのぐのに悪戦苦闘していた。マッカーサーが冷酷にも日本国民に告げたように、「日本の悲惨な現状は自業自得」だった。

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日本政府は恐れおののきながら、マッカーサーの民主主義を迎えようとして、国民に対し、「新日本は人権を尊重しなければならない。そして、唯一の生きる道は民主主義しかない」と強調した。


日本政府が「平等」と「自由」とを頻繁に宣伝することは、国民を驚かせた。飢えた日本人はそれまで一度も、こういう政府の言葉を聞いたことがなかったからだ。それどころか、民主主義は無政府主義と同じであるという政府の宣伝に洗脳されていた。
 

政治不信


日本国民は死活問題の衣食住にかかりきりの状態だったが、不滅であるはずの大帝国が崩壊したことで、国民の間には深い政府不信の念が生まれ、権威者に対しても強い反感がぶつけられた。
 
軍事的英雄主義と民族的犠牲を美化したセリフは、米国製の「純粋平和主義」の宣伝文句に取って代わられ、「必勝」は日本人の日常生活から速やかに消え去り、「敗戦」だけがガレキの山として残っていた。
 

教育使節団の誕生


マッカーサーは日本の教育を速やかに改革しなければならないと考え始め、アドバイザーとしてアメリカから著名な教育学者たち25名を日本に呼ぶことにした。1946年1月4日、マッカーサーはワシントンの陸軍省あてに一通の電報を打った。
 
「日本の教育制度の再建は、占領行政の中で高度の優先順位が与えられなければならない。推定1800万人の学生、40万人の教師、4万の学校は、日本人の生活全体および占領使命を全うするうえでの主要な道具なのである」。文部省は「完全な改革計画を立て実施するには、適性を欠いている」というのだ。
 
「米国教育使節団」の成立である。
 


西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第2章 富国日本の現状−8