遊び惚けた使節団員


教育使節団の物見遊山の態度は、GHQが文部省にあてた「アメリカ教育使節団の日本滞在日程試案」という覚書にも出ている。

「公式の会合は午前中だけ。午後は視察にあてるか、委員会の会合。土曜日と日曜日は旅行日。日本側は週三回、夜の娯楽を用意すること。例えばオペラ、音楽会、演劇、展覧会など(ただし、これは月曜日から金曜日までの間で)」というのが、その内容だ。
 
ストッダード団長はGHQの用意した使節団の日程を読んで、「全団員を代表して、このように心身両面にわたりレクリエーションの配慮をしていただいたことに深い感謝の意を表する」と表明した。教育使節団の経費は全額、日本が支払った。


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使節団は日本滞在の最初の二週間は、GHQが作成していた「日本の教育」と題する小冊子を読み、GHQスタッフによる話を聞き、風光明媚な京都と奈良の見物に出かけ、時折、「日本人教育者たちの委員会」と話し合った。三週間目は「報告書」の執筆で過ごした。


安倍文相の抵抗


戦後第二番目の文部大臣になった安倍能成(在任期間1946年1月13日~5月22日)は、教育使節団歓迎の挨拶で、「戦勝国としての位置がアメリカ的あるいは西洋的特殊性を簡単に日本に強制するに至らざらんことを期待するのは、決して不遜な願いではないと信じます」と懇願した。
 
安倍文相はその理由として、日本が征服者として相手の国民性を無視して、「朝鮮や中国に臨んだことが日本の失敗であった」ゆえ、「戦勝国としてアメリカは無用に、驕傲にならず、アメリカが、アメリカ的見地をもって簡単に日本に臨むことのないように願います」と述べた。


米側の反応


マッカーサーは、日本を「内部から政府を解放する世界一の大実験室」と考えていたし、アメリカの民主主義とキリスト教が日本を救済すると思っていたので、安倍文相の勇気ある挨拶はムダな抵抗だった。
 
ストッダード教育使節団長は「安倍大臣は温かい歓迎の意を述べられました」と言い、「われわれが日本にやってきたのは批判するためではなく、視察し、学ぶためなのであります」と、日本側の懸念を取り除くような外交辞令を述べた。


比較教育学の研究で世界的に有名であったコロンビア大学のアイザック・L・カンデルは、もっと率直に「教育使節団は当時の文部大臣からあのようなことを言われなくても、よくわかっていたのだ。だが、彼の懇願を聞くだけは聞いておいた」と、帰国直後に書いている。





西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第2章 富国日本の現状−10