アチソンの正当化


しかし、アチソンは近衛について暗黙の了解を与えていたので、次のように正当化している。


「この任命は、将来問題を起こすかもしれないが、われわれが日本政府を使って、われわれの目的を達成する限り、あるいは、その目的に向かって彼らが自分で努力しているのを許す限り、この重大時期に近衛の邪魔をするのは賢明とは思われません。彼は天皇の信頼を得ており、彼自身、封建領主であり反動派の重鎮です。彼は当初、逮捕されていません。もちろん、彼はうまく逃れようとしており、彼を重要な任務に用い、のちに彼の背後に一矢報いるというような道徳的問題には、私自身かかわりたくないのです」


だが、そのようなきれい事ばかり言っている時ではなかったし、「憲法」はアメリカにとってはあまりにも重大問題で、「封建領主」の近衛に任せてはおけなかった。


アチソンは、国務省に次のような緊急の書簡を送った。


「われわれは日本人筋から個人的に次のことを知った。近衛は今月(11月)末までに政府に提出する草案を完了したがっている。天皇のお墨付きを得た草案発表前に、われわれの考えを徹底させたいなら、即刻、行動を取り、阻止すべきである。なぜなら、天皇のお墨付きを得て用意された草案を修正するのは、大変困難であり、不幸な政治的結果を招き、われわれの長期的目的達成を妨げることになろう」


温存された明治の精神


11月22日、近衛は草案を完成し、天皇に提出した。


明治憲法の最初の13条は手つかずに残っていた。天皇主権は変更なし。マッカーサーが一番心配していたことが実際に起こった。


近衛を失墜させるため、荒療治が必要となった。アチソンの言うように "即刻" に。2週間後、12月6日、マッカーサーは近衛を286人の戦犯容疑者の1人に指定し、16日の正午までに巣鴨刑務所に出頭するよう命じた。近衛が動き回ると、また問題を引き起こすと、マッカーサーは思ったに違いない。しかし、12月16日の明け方、近衛は服毒自殺した。


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自殺した近衛文麿と死体鑑定医


近衛はマッカーサーの期待に添う憲法を書くのに失敗したがゆえ、死に追い込まれた、と考えるのが自然である。

次の「松本憲法草案」を考察する前に、「(昭和)天皇が自殺さえ考えているかもしれない」とマッカーサーが心配していた事実について記述したい。



西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第2章 富国日本の現状−20


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