マッカーサーの戦犯リスト

天皇退位のウワサが広がり始めた。1945年12月2日、天皇と最も親しい側近の木戸幸一の名がマッカーサーの戦犯リストに載った時からだ。次は天皇自身か、という不安が日本国民の間によぎった。


日米両国政府にとって、天皇は日本で最も重要な人物だった。占領軍による天皇の取り扱いについて、日本降伏前、1945年7月3日、国務省はポツダム会議に出席したトルーマン大統領に次のように勧告した(ルーズベルト大統領が1945年4月に死亡し、副大統領だったトルーマンが大統領になったが、外交についてはズブの素人だった。それゆえ、スターリンとチャーチルとの厳しい戦後の領土分割の交渉につき、国務省があらゆる事態を仮定してトルーマン用のシナリオを書いた。それを持ってトルーマンは会議に出席した。私はその分厚い紺色のシナリオ台本の全冊を読んだ)。

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ハリー・S・トルーマン大統領


国務省のシナリオ

「日本の無条件降伏、あるいは完全敗北と同時に、天皇の憲法上の権限は停止されるべきである。......天皇とその近親者たちは身柄を拘束し、東京から離れた御用邸に移すべきである」。しかし国務省は、「天皇を日本から連れ出せ」とは勧告しなかった。


「もし天皇が日本から逃亡したり、あるいはその所在が不明の場合には、天皇の取るいかなる行動も法的有効性も持たないことを日本国民に伝えるべきだ」


「中国および米国の世論も、しだいに天皇制の廃止に傾きつつある」が、国務省は天皇制廃止は「問題解決にならない」と見た。理由は「日本人は現在、天皇にほとんど狂信的ともいえる献身の思いを持っている」からだった。


国務省対マッカーサー

このような国務省の勧告は、天皇を戦争犯罪容疑から外すことを意味したわけではなかった。事実、占領が始まった2か月後の1945年10月26日、アメリカ政府はマッカーサーに、「天皇ヒロヒト」は戦犯として裁判にかけられることを免れているのではない、天皇に対する裁判は日本での米国の占領目的からも切り離されたものではない、と通告した。


だが、マッカーサーは日本占領を遂行するため、天皇は生かしておかなければならないと思っていたし、ソ連、中国、イギリス、オーストラリアが天皇を戦犯として裁き、死刑にしたいことも知っていた。



西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第2章 富国日本の現状−21