共産党の影

マッカーサーには天皇が必要だった。だから、彼はシーボルドにも「天皇の退位は政治的な混乱を引き起こすだろう」とか、「私は天皇に退位を思いとどまらせるため全力を挙げるつもりだ」と語った。

44f.jpg昭和天皇と会見するマッカーサー


シーボルドは米国務省の友人に書いている。


「マッカーサー元帥の意見は私の考えと全く同じなので、彼の考えを聞いて非常にうれしかった。そして、彼の意見が米国政府の見解でもあるようです、と私が言ったところ、元帥は他の意見はありえないと断言し、天皇退位は間違いなく日本の共産主義に利用され、大混乱をもたらすものという点で、私と意見が一致した」


この後、マッカーサーは天皇と会っている。そして、天皇退位のウワサは消えていった。


松本憲法草案


日本政府の憲法問題調査委員会は、3か月間(1945年10月中旬から翌年1月中旬頃まで)閣僚たちと頻繁に会議し、大車輪で動き出した。


それぞれの政党も競って憲法案を発表したが、それらを読んだマッカーサーは、日本の国民および政治家たちは民主主義を全く理解していないし、自分から教えてやらねば永久に理解しえないであろうとの結論に達した。だが、彼は『回顧録』(1964年)の中で「私は憲法問題調査委員会の審議に全く関与しなかった。私の部下も誰も関与しなかった」と述べている。


事実はそうではない。


1946年半ば、マッカーサーはバーンズ国務長官に、自分がいかに深く関与しているかを次のように説明している。

「近衛草案」の悪夢


「初期の段階から幣原内閣の草案ができるまで(1946年3月4日)、私は頻繁に大臣たちと個人的に会った。私は彼らに、この憲法改革に必要な諸原則につき説明をした」(幣原首相は明治憲法に手を加えることに消極的であったが、マッカーサーは幣原に新憲法の草案を持ってくるように命じている)。


マッカーサーとアチソンは、松本憲法問題調査委員会が幣原内閣の閣僚たちと密接に協議しているのを十分知っていた。それゆえ、この2人も大臣たちとたびたび私的に会っていたのである。これら閣僚との会合で、日本政府の考え方について正確な知識が得られた。


アチソンは早くも1946年1月7日、マッカーサーに警告し、「政府案は現憲法(明治憲法)の最初の4章について原則的に手をつけないことになっている。これら4章は、われわれが(敵として)戦ってきた神聖日本国の礎石であり、柱である」と嘆いた。「近衛草案」の悪夢が彼らの脳裏に焼き付いているはずだ。



西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第2章 富国日本の現状−23


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