blog111.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

「言葉とは何か?」

哲学者のアリストテレスをはじめ、多くの思想家たちは言語の謎に挑み、人工言語「エスペラント」のように、世界共通語を目指す運動もありました。

しかし、言葉が世界中に広まるには、その背後に大きな国力や思想が常に伴っているものです。

人工知能(AI)の急速な発達により、私たちの異文化理解は進み、コミュニケーションは容易になるのでしょうか? その一方で、失われていくものはないのでしょうか?

好きなのか、嫌いなのか


私たちが話している言葉は、心の機微に大きく突き動かされています。会話をしている「その瞬間」ごとに、同じ言葉であっても、相手に伝わる度合いは異なります。

たとえば、「好き」という言葉で考えてみましょう。

私たちは、嫌いな人に対して「好き」といったり、好きな人に対して「嫌い」と言ったりします。恋人同士での「大嫌い」は、多様な解釈が成り立ちます。

あなたも、言いたいことが「本当」に伝わらない経験をしたことがあることでしょう。日常話される言葉は、極めて心的なもので不安定です。だから、AIが「生きた言語」を超えることができるのか、大きな課題なのです。

貧困化する言語


日本は春夏秋冬の織りなす豊かな自然の恩恵を受けてきました。日本語は「自然」と一体化するかのように、人間の五感を研ぎ澄ました豊かな表現があります。

たとえば、「風」という言葉には、様々な言い回しがあります。


春風、雪解風(ゆきげかぜ)、黒南風(くろはえ)、白南風(しらはえ)、青嵐(あおあらし)、夏嵐、野分(のわき)、秋風、颪(おろし)、風花(かぜばな)、凩(こがらし)・・・・・・


これらの多彩な表現を、「風・kaze・Wind」というようにすべて捉え、日本語と英語を「1対1」で考えてしまうと、大きな落とし穴が待っています。日本人が培ってきた文化や身体で感じる自然観がないがしろにされてしまう。「青嵐」や「秋風」の季節感は、どこにいってしまうのでしょうか。

次に、「虹」を例にとってみましょう。「虹」の色は日本では7色ですが、アメリカでは6色。アフリカでは2色と認識している民族もいます。

つまり、異なる言語で意味する対象は、正確に「1対1」に対応していないことが多々ある。

言語は違っていても指し示している内容は同じだと思ってしまいがちです。しかし、実際には「微妙な差異」があり「ことば」の表層しか捉えていないのです。

グローバル化と日本語


言語のグローバル化が進むと、日本語にぴったりと張り付いてきた文化的土壌や感性は失われがちです。

日本語の「言語体系」が、まさに今、英語の「言語体系」に飲み込まれようとしているのです。グローバル化のもとで、英語の価値観(言語体系)が「標準」とされ、国策としての言語政策が推進されています。

そんな時代ですから軽薄な英語学習法まで出てくる。母国語の日本語があるのに、無自覚に「英語の思考回路」に没頭する。悲劇を通り越して喜劇です。

高度な近代文明の代償として、私たちは貧困な言語世界に突入しようとしています。「侘び・寂び」の美意識は忘れ去られ、効率的で表面的な言語世界に覆い尽くされようとしている。これを文明の進歩と呼ばざるを得ないことは皮肉なことです。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。

・フェルディナン・ド・ソシュール『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』(東京大学出版会、2007年)
・丸山圭三郎『言葉とは何か』(夏目書房、2001年)
・森山茂『「ソシュール」名講義を解く!』(星雲社、2014年)