失われた自衛精神

アメリカは日本の魂を抜き、右往左往と信念もなく、自信もなくしてしまう国に仕立て上げ、かつ自衛もできない丸裸の国にしてしまった。アメリカに頼らなければ生きていけない国にした。


1868年の明治維新以来、日本は「富国強兵」を国の目標とし、必死になって、軍事力および経済力の進んでいた西洋に追い付き追い越せと、教育に力を入れ、歴史上まれに見る「国づくり」の大成功を収めた。


だが、第2次大戦後、日本はアメリカの経済力、アメリカの国内市場に支えられ、「輸出企業国」となっていった。アメリカなしでは日本の「富」はなかったのだ。「金持ち」になると、それを守ろうとするのはごく自然であるのだが、日本には「強兵」がいない。

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だから、アメリカの軍事力、兵力に頼らなければならない。日本の一等地にアメリカ軍の大きな基地があるのも、日本の「国防」のためだ。「アメリカ軍隊」が植民地および属国の動静を監視していると思えばよくわかる。それらの基地の費用も日本が出す。これもアメリカの思うつぼだ。


属国・日本

日本は日米間の「力の方程式」を変えようとしないし、アメリカも変えさせようとしない。


最近、日米安保の新しい解釈が必要であるという声は聞くが、それは今激しく争われている貿易戦争の余波を受け、アメリカが自国のいらだちを日本の「自衛、国防」の弱みにつけ込み、日本に脅しをかけているだけだ。アメリカが日本帝国を打ち破り、そして手に入れた軍事基地を、そうやすやすと手放すわけがない。日本中にあるアメリカ軍の基地は、日本が「提供」しているのでなく、アメリカに「没収」されているのだ。理屈はともあれ、アメリカの軍事力の盾がなくては日本の安全がないとは惨めな現状だ。


戦後50年間、アメリカが上、日本が下という「力の方程式」については何も変わらない。それどころか、マッカーサーが妄想たくましく理想郷を夢見て、6日間で綴った憲法を「犯すべからず」の聖典として守り続け、いかに世界が変化しようが、日本の現状が激変しようが、その聖典に盲目的にしがみついている日本人がたくさんいる。この化石化した姿も、アメリカの戦後教育の成果である。


思考停止した日本人

腹も立てず、侮辱も感じず、むしろ、今の日本が真の「平和」だと思っているのが日本国民だ。占領の枷を50年間引きずっていると、もう枷を体の一部と思い、当たり前と思い、それが両手両足に付いていることさえ感じないのだろう。アメリカから見ると、こんなうれしいことはない。


そのうえ、日本のように優れた労働者を持つ富める国がアメリカの属国になっていることは、アメリカの誇りになる。アメリカの国力、威信の誇示になる。


1970年代、80年代、アメリカが日本の経済力に感嘆したのは事実である。"ジャパン・アズ・ナンバーワン"とおだててくれた。日本が「カネ」を持っていたからだ。日本の超景気に、アメリカも羨望と嫉妬を感じたのだろう。


次に、アメリカの「カネ」に関する感情を考えてみよう。というのも、今、アメリカは自国の経済力に自信を取り戻し、長期にわたる日本の不景気を見て、日本に対するアメリカの本音を出してきたからだ。



西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第2章 富国日本の現状−30