バラ色の生活

博士論文を書きながら、私はシアトルにあるバッテル研究所というシンクタンクで、日本・ヨーロッパ・アメリカ間の文化・貿易交流史についての研究員として働いた(バッテルはゼロックスを共同開発したことで有名)。


給料は良かった。新しい自動車も買えた。アパートを引き払い、シアトルでは「良い住宅地」といわれているワシントン湖畔に家を買った。部屋も7室あり、大きな地下室もあった。私は蘭を育てるのが好きなので、ガラス張りにゆったりした温室を新設した。ガレージは表と裏に2つあり、実をたわわにつけるリンゴの木もあり、庭は多数の客を呼んで「ガーデン・バーベキュー」ができるほど広かった。


広がる交友関係

スポーツクラブにも入会し、毎日のようにそこに通った。シアトルで活躍している人たちと友達になった。年齢的には20代後半から80代の男女だ。職業別に見てみると、弁護士が多かった(アメリカには本当に弁護士が多い。アメリカの人口は2億5千万人で弁護士は約90万人。日本の人口はアメリカの半分で弁護士はわずか1万5千人)。医者、建築士、銀行員、会計士、大学教授、不動産業者、ジャーナリスト、ベンチャー・キャピタリスト(ベンチャー・ビジネスへの投資家)、自営業の人たちが、会員の半数以上も占めていた。

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月に2度、クラブ内でパーティーがあった。会員間での友好を深める、すなわち、新ビジネス開拓の場としてのパーティーだった。特に12月のクリスマス・パーティーと大晦日のパーティーは豪華だった。生バンドが演奏し、贅沢な食べ物が実際山のように飾り付けてあった。もちろん、男性は全員タキシードで、女性はこの時とばかり美しく着飾っていた。


女性のドレスアップに関し、アメリカと日本では興味深い現象が起こる。日本の女性は正式の場(例えば結婚式)に正装で出る時、和服で全身を包む。洋服でも全身を包む。アメリカの女性はあたかも裸になっているのではないのか、と錯覚を起こさせるほど肌を出している。

学友の苦悩

私の家でも年2回、夏のバーベキューと冬の夕食会のパーティーを催した。夏には、裏庭でブタの丸焼きをしたり、大きな紅サケを10数匹炭焼きにした。80人から100人の友人たちが集まった。招待した友人たちはほとんどスポーツクラブの人たちだったが、昔の学友たち(ワシントン大学大学院)も招待した。


このように恒例のパーティーをしていて、アメリカ人ができるだけ隠そうとしているが、どうしても顔に出てしまう「金」に対する心理を見た。


というのは、昔からの学友たちのうち、1人は商売がうまくいかず財政的に苦しんでいる者と、1人は大学に勤めていたが、人員整理で解雇になり、アルバイトで生活している者、もう1人はヴェトナム戦争に従軍し、帰国しても職が定まらず、転々と職業を変えている者がいた。3人とも男で、私と仲が良かった。




西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第3章 富国日本の現状−3