無責任主義

さらに、住専から膨大な資金を受けた会社または個人は借金を返さず、のほほんとしている。借り手に暴力団が多くいるという。恐ろしくて借金回収ができないのか。日本の金融財政を司っている大蔵省は、住専の醜態に責任を取らない。大蔵省の高官が天下りした住専で巨額の経営赤字を出したのに、その者たちは責任を取らない。


誰も責任を取らない日本。誰の責任も追及しない日本。政治道徳も、経済道徳もない日本。あたかも政府官僚や政治家たちは私たち国民と水と油のように遊離し、日本という国は「魂」を求めてさまよう声なき群衆のようである。旧国鉄の負債は30兆円もあるという。これも国民の税金増加で「処理」しようとしている。


無敵と思われていた日本が、その弱い実態をさらけ出した。アメリカはこの時とばかり、猛烈な攻撃をかけてくる。


自動車を巡る戦い

日米貿易戦争での「軍旗」は自動車だ。日本(国民と政府)は、アメリカ人が自動車に対して持っているほぼ宗教的な、いや、狂信的な感情を理解していない。アメリカ人が「自動車」に対して持っている心理感情は「信仰」に近い。

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日本人は自動車を経済活動・貿易黒字・赤字を計る手段として見ており、数々の論理を並べ立て、なぜアメリカの要求が不当であるかを説明しているが、アメリカ人は「自動車」を単なる経済の道具だと思っていない。


「自動車王」と呼ばれるヘンリー・フォードが、アメリカ国民が働いてさえいれば無理しなくても買える自動車の大量生産に成功した。全世界で自動車が一般市民の手に入ったのはアメリカが初めてだった。自動車の売れ行きとアメリカのGNPの増加が正比例するように、アメリカの国力、そして個人の「裕福さ」は自動車産業の繁栄と強いきずなを持つようになった。そのきずなはやがて浄化され、自動車はアメリカ社会文化の象徴となっていった。


アメリカの自動車文化

アメリカの家庭では、男子も女子も16歳になると「仮免許」がもらえる。とうとう一人で自動車が運転できるようになった日は、16歳の子供にとっては大人の世界へ入り始める第一歩であり、大切な思い出の日となる。両親も近所の人たちも、16歳の子の初運転を見に外へ出てくる。両親の車を借り、自分で運転し、デー卜に行くのも、みんなからひやかされ、大騒ぎしながらのお祭りである。「元服」だ。


アメリカで、10代の若者が新車を乗り回しているのを見たことがない。両親の車を借りて乗っているのは別として、自分の車だとポンコツだ。これもアメリカの自動車文化の目に見えない大切な一面なので、ここで明らかにしておこう。




西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第3章 富国日本の現状−9