アメリカのおごり

1960年代の初頭、フォルクスワーゲンがアメリカに入ってきた時、デトロイトのビッグスリー(ゼネラル・モーターズ、フォード、クライスラー)はドイツの小さな車を嘲笑した。「ティンキャン」(カンヅメの空きカン)といって、相手にもしなかった。小さな箱のような日本車も入ってきた。ビッグスリーは大声で笑い飛ばした。


ビッグスリーが自社の売り上げが下がりだし、利益が減少しているのに気がついた時には、日本車とドイツ車はアメリカの国内市場の35%を押さえていた。故障しない、燃費の良い車に、アメリカの消費者が飛びついたのだ。

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ジャパン・バッシングの起源

クライスラーは、倒産寸前にまで追い込まれ、政府に泣きついた。補助金を貸してくれと懇願した。クライスラーは自社の(利益が大きい)大型車一辺倒を棚に上げ、経営無策を反省することなく、すべてを「日本車」の責任にした。「ジャパン・バッシング」の始まりだ。アメリカ政府は、クライスラー社に国民の税金を貸してやった(このあたりは日本政府と同じ)。


フォードも、ゼネラル・モーターズも、自社の車が売れない現状に直面し、四苦八苦している時に、ドイツから、日本から、次々と新しい車がアメリカに入ってきた。アメリカの消費者がどんどんと買っていく。


聖地デトロイトを侵す国

その反面、輸入車に対し、心理的な反発がアメリカ社会の中に起きていったことを見逃してはいけない。すぐれた輸入車を買った人たちもそれを感じていたのだ。伝統ある誇り高きアメリカ車が、死に絶えるかもしれない恐竜のようになっていく姿を恐れと屈辱感を持って見ていた。日本車とドイツ車があたかも自動車技術の先端をアメリカに見せつけるかのごとく、アメリカ国内を走り回っているのを見ていたのだ。


「ジャパン・バッシング」が激化してきた。ここで注目に値することは、「ドイツ・バッシング」はアメリカのどこでも起こらなかったことだ。ドイツ車より日本車のほうが比較にならないほど多数買われたかもしれないが......。


アメリカの「聖地デトロイト」が、日本に侵されたとアメリカが思ったのは間違いない。アメリカ社会文化の象徴が、日本により打ち壊されんとしていると危機感を持った。


1970年代半ばから、日米貿易戦争で自動車が絶えず前に出てくる。自動車が一番大切だと、アメリカが思っているからだ。





西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第3章 富国日本の現状−11