blog116.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

先日、「ヴァチカン・シークレット」をとりあげましたが、今日はその続きです。

対日占領下でヴァチカンの動きを観察する上で、大司教のパウロ・マレラ(Paolo Marella・1895〜1984)の動向は欠かせません。

戦時中の1942(昭和17)年、ヴァチカンと日本は国交を樹立。このとき、大司教パウロ・マレラが全権大使として日本との外交に専念します。

日本の敗戦後、ヴァチカンとの外交関係は一時途絶えましたが、マレラは教皇使節として日本で活動し、日本兵を復員させるために力添えをしてくれました。


ローマ教皇とマッカーサー元帥

敗戦国の日本で活動していたマレラは、上智学院のブルノー・ビッテル神父と共に、マッカーサー元帥と会談を催しています。1945(昭和20)年11月23日の出来事です。

このときマッカーサーは、キリスト教への強い信念を語り、マレラと教会が「直ちに活動を開始」することを要望します。そして、マッカーサーの懇願を「ローマ教皇に伝えてもらいたい」と要請したのです。

一方のマレラは、日本の若い学生をローマの教皇庁立大学に留学させる計画を打ち出します。

教皇庁立大学の設立目的は、「福音化されていない国で、教会のために奉仕する未来の指導者を育成する」ことです。マレラはマッカーサーに対して、「日本人の学生が大学にきたら、ローマ法王もさぞかしお喜びになるでしょう。とくに、日本における宗教的機会が過去よりも恵まれている現状」ではと、要望の手紙を送ったのです。


ヴァチカン留学生


マレラの要望は、早くも1946(昭和21)年9月に実現化されました。

3名の若い日本人カトリック神学生(沢田ジョン、山田チャールス、川口ジョーゼフ)が、ローマの教皇庁立大学へ留学することが決まった。

占領下の日本において、一般の日本人が海外に出国することは厳禁。GHQの許可が必要です。はたして、GHQは海外留学を許すのか。

結果は、、、

許可が下りたのです。

学生への事例で、海外渡航が許された。
この3名のカトリック神学生たちが、敗戦国日本の最初の留学生だったのです。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・ "Letter, From: Bruno Bitter, To: Supreme Allied Commander G.H.Q.," 7 November 1946, Box 478-6, GHQ/SCAP Records, Adjutant General's Section, United States National Archives and Records Administration(Hereafter cited as AG, NA).
・"Letter, From: Paul Marella, To: Douglas MacArthur," 26 July 1946, Box 408-6, GHQ/SCAP Records, AG, NA.
・高木一雄『日本・ヴァチカン外交史』聖母の騎士社、1984年
・「神学生ヴァチカンへ」『朝日新聞』1947年1月16日。