blog119.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

先月のブログで「オリンピックと政治」を取り上げました。

アジアで開催される初めてのオリンピックが、1940(昭和15)年に開催されるはずだった。

しかし、陸軍からオリンピック反対の声があがり、ヨーロッパの情勢も不安定になり、日本政府は開催中止を決定した。

そもそも、なぜ日本は1940年にオリンピック開催を目指していたのか?

それは、1940年は日本の紀元である「皇紀2600年」にあたるからです。皇紀とは、神武天皇即位の年を元年と定めた紀元です。だから、壮大な年にしたかった。

皇紀2600年の遺産

「皇紀2600年」と聞くと、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?

たとえば、日本海軍が三菱重工業に対して製造を要請した主力戦闘機の「零戦」(零式艦上戦闘機)を即座に思いつきます。零戦は、「皇紀2600年」の末尾のゼロをとって名付けられた。

クラシックが好きな方は、ドイツを代表する作曲家リヒャルド・シュトラウス(1864〜1949)の「皇紀2600年奉祝音楽」を挙げるでしょう。奉祝曲の音源が残っており、CDも発売されています。Youtubeでも聴くことができます。

宮城遥拝所

さて、宮城遙拝所と皇紀2600年にいったい何の関係があるのか?

宮城遙拝所が急速に創られたのは、皇紀2600年なのです。宮城遙拝とは、皇居の方角に向かって敬礼(拝礼)をすること。現存する遙拝所跡の石碑をみると、「紀元二千六百年記念」と彫り込みがされています。

偶然立ち寄った埼玉県の諏訪神社に「宮城遥拝所」が残っており、こんなところに「皇紀2600年」の遺産があったのかと驚きました。ちなみに諏訪神社は全国に約25,000社ほどあり、総本社は長野県にある諏訪大社です。

宮城遙拝所は、日本国内だけでなく海外にもつくられました。当時の日本人からすれば、敬礼(拝礼)することは道徳的儀礼のように感じましたが、外国人の眼からみれば、宗教的所作の押しつけに映る。これは、とても難しい問題なので、ここでは触れません。

ともあれ、今では忘却された歴史ですが、あなたの街にも「宮城遙拝所」の跡がひっそりと残っているかもしれません。


ー岡崎 匡史