blog120.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

1951(昭和26)年4月11日、マッカーサー元帥がトルーマン大統領に解任された。

1950年6月25日に勃発した「朝鮮戦争」をめぐり、マッカーサーとトルーマンの戦略の違いから政治的対立が生じていた。

マッカーサーは、朝鮮半島に原爆を落とすつもりだった。トルーマンは、原爆投下を阻止したい。

元帥を惜しむ

マッカーサーの解任は、日本国民にとっても寝耳に水の出来事である。

翌日の『朝日新聞』は社説で「マックアーサー元帥を惜む」と題して、彼が日本を去ることを嘆く。

「日本国民が敗戦という未だかつてない事態に直面し、虚脱状態に陥っていた時、われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった。子供の成長を喜ぶように、昨日までの敵であった日本国民が、一歩一歩民主主義への道を踏みしてめていく姿を喜びこれを激励しつづけてくれたのもマ元帥であった」「マックアーサー元帥の、日本占領政策における成功は、マ元帥の解任にかかわらず永く歴史に残るであろう」

吉田茂の哀しみ

マッカーサー解任劇から3日後の年4月14日、吉田茂首相は日本国民に向けてメッセージを流す。

マッカーサー元帥がわが国のためになしとげたことは、史上まれなものである。わが国が戦後の混乱と窮乏から立直り、復興の道を進み得たのは、元帥のおかげであり、またわが社会の隅々にまで民主主義の根をしっかりおろさせ、さらに講和条約の地ならしをしてくれたのも元帥である。元帥が全国民から深く敬愛されていることは、不思議ではない。元帥が去るに当って、私はわが国のかなしみを伝える言葉を知らない。

マッカーサー賛歌のような演説をした同日、吉田首相はマッカーサーに手紙をしたためる。


親愛なる閣下
貴官の突然の離日に際し、私は受けた衝撃と悲しみとを貴官に申し伝えるべき言葉を失っております。

国会の両院をはじめ諸々方々より貴官に贈られた感謝決議や感謝状、さらには貴官が連合国最高指令官として、わが国を改造し再生させるにあたり、成し遂げられた記念すべき業績にたいし、国を挙げて寄せられた自発的な贈り物に込められた感謝の気持を、この私的な書面の中で繰り返す必要はないでありましょう。日本国民はすべて、天皇陛下から路上の市民に至るまで貴官の離日を惜しんでいます。

これまで貴官と親しく接しうる特権を与えられた思い出は、私にとって尽きることのない喜びと励ましとなるであろうことを、いまここに申し上げることをお許し下さい。

貴官と令夫人、ならびにアーサーさんの空路の安全をお祈り致します。あなたがたの健康と幸福と繁栄に神の変わらざる祝福がありますように。

敬具
吉田茂

マッカーサー離日

4月16日、米国大使館から厚木飛行場に向かう道のりの沿道には200万人にも上る日本国民が詰めかけた。

マッカーサーを見送るためだ。

マッカーサーは妻と息子を連れて、愛機「バターン号」に搭乗。日の出と共に飛び立ち、眼下に広がる美しい日本の原風景を楽しむかのように、富士山をひとまわりして去っていった。



ー岡崎 匡史


PS. 以下の文献を参考にしました。
・西鋭夫『 國破れてマッカーサー』中央公論社、 1998年
・ダグラス・マッカーサー『マッカーサー回想記 下巻』朝日新聞社、 1964年
・袖井林二郎編訳『吉田茂=マッカーサー往復書簡集 1945-1951』 法政大学出版会、 2000年