外圧史観

「外交」という言葉もある。


しかし戦後日本、いや1853年、ペリー黒船の到来以来の日本の歩みを見てみると、日本外交の歴史は「外圧」の歴史なのではないかと思われる。

75f.jpg近年の例を二、三挙げただけでも、いかに日本がアメリカからの外圧で国内の物事を決定してきたかがわかる。


大げさな反応

オレンジ、そして牛肉輸入に関してのあの大騒ぎ。

私はアメリカから見ていて、日本はそれほど大袈裟に七転八倒することもなかろうにと思っていたら、結局「外圧」で市場は開かれた。得をしたのは選択の自由が増えた日本の消費者だ。日本のみかんは競争が増え、品質が良くなり、甘くなった。


こんなに小さな島で、人口密度の高い国で、牛肉を大量に生産するのは不可能だし、とても高くつく。牛肉は安くできる、土地の広い国から輸入すればよい。


交渉の内幕

おいしい肉は海外にたくさんある。オーストラリアもアメリカも和牛の種牛を輸入し、日本人の好みに合わせようと懸命だ。


牛肉交渉の折、通産省の役人がアメリカ高官に「日本人の腸の長さがアメリカ人とは違うので、アメリカの牛肉は日本人に合わない」と言った。


アメリカのマスコミは日本の記事をほとんど載せないが、これは大きな記事として取り扱った。


柔軟性の欠如

「カリフォルニア米は一粒たりとも通さない!」の場合も、「外圧」と「冷夏」で輸入米大歓迎となった。


平成5(1993)年の夏、東北を襲った冷夏で、米は不作となった。日本政府はパニック状態に陥り、アメリカ、オース卜ラリア、中国、タイから大量の米(260万トン)を輸入した。


1トンが7万円。今、それが大量に余っている(80万トン)。不作で「ない」と思われていた日本米(値上がりした国産米)も、平成6(1994)年の大豊作の刈り入れが始まる前に、ぞくぞくと出てきた。





西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第4章 富国日本の現状−6