blog122.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

二発の原爆で廃土と化した日本帝国は、昭和天皇臨席の会議を1945年8月14日に開き、「ポツダム宣言」の受諾を決定した。

翌日8月15日正午、昭和天皇の肉声によって「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ...」から始まる総文字数814文字の「大東亜戦争終戦詔書」、いわゆる「玉音放送」が放送された。

昭和天皇は「敗戦」という言葉を使わずに、「万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と述べられた。

天皇の肉声

ほとんどの日本人にとって昭和天皇の声を聞くことは初めてであり、畏れ多いことであった。なぜなら、当時、天皇の声はラジオにおいて無音で放送されており、天皇の声に対するタブーがあったからだ。

「天皇の声を聞くこと」は「神の肉声を聞くこと」であり、それは一般の日本国民にとって、決して許されることではなかった。

「天皇の肉声」を聞くことによって、アメリカは天皇の神聖が失われると考えていたが、昭和天皇が「敗戦」を潔く受け入れ、一夜にして日本軍が武装解除されたことは、アメリカ兵にとって理解しがたい出来事であった。

「玉音放送」の海外英語版は、戦後NHKラジオの英会話番組「カムカム英会話」の番組講師として一世を風靡することになる平川唯一(1902〜1993)によって代読された。

陽明学者・安岡正篤

「玉音放送」には、陽明学者の安岡正篤(やすおか まさひろ・1898〜1983)の意見が反映されている。

安岡正篤は、拓殖大学で東洋思想講座を務めて、東洋哲学に基づいた私塾を開いたことでも知られる。

安岡は、1926(大正15)年に「金雞学院」(きんけいがくいん)を設立。近衛文麿など政財界から幅広い支持を集め、「結盟団事件」や「五・一五事件」の精神的基盤ともくされた私塾である。 さらに、1931(昭和6)年、埼玉県比企郡菅谷村(現:嵐山町)に「日本農士学校」 を開校する。

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この安岡が、「終戦詔書」の意見を求められて、「万世ノ為ニ太平ヲ開ク」という文言を加えたと言われている。敗戦ではなく、平和のために戦争をやめるのだと。

その後、安岡正篤の設立した私塾はGHQから解散を命じられるが、彼は戦後「歴代首相の指南役」と呼ばれるほど影響力を発揮した。


ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
迫水久常『終戦の真相』(非売品、1955年)
安岡正篤『運命を創る 人間学講話』(1985年、プレジデント社)
茶園義男『密室の終戦詔勅』(雄松堂出版、1989年)
浦野起央『日中韓の歴史認識』(南窓社、2002年)
川井良浩『安岡正篤の研究』(明窓出版、2006年)