「日本異質論」

日本政府はアメリカから市場開放、規制緩和を要求されるたびに、「日本文化の特異性」や「日本社会のユニークさ」を盾にして、アメリカの日本への進出を拒んできた。今でもそうしている。


例えば、大和銀行のアメリカ国債不正事件とその隠蔽を手伝った大蔵省の「説明」として、榊原国際金融局長は「日本側の事件受理について問題があったとは思わないし、対応の違いは文化の違いだ」言った。


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この「特異日本」の努力がアメリカに通じたのだろう。アメリカで、日本を研究している知識層や政府高官たちの間で、「日本人異質論」までが公然と論議されている。


「シラケ」るアメリカ

要約すると、「日本人は西洋文化を理解する能力も意欲もなく、西洋的な物の考え方に嫌悪を示す。われわれの理論的な説明が日本人の頭には理解できない。根本的に日本文化の狭さから抜け切れないので、日本人と貿易交渉をする時は論理でなく、別の方法を使わねばならない。何年、話し合っても平行線をたどるだけだ」という。


このような日本異質論はアメリカのいらだちだけを表したものではない。


アメリカの日本への期待外れからくる空しさ、日本経済に対する脅威感の解消とその後の安堵感、そして関心の薄れとかいう日本に対する「シラケ」た感情を集結したものだ。


冷戦の恩恵

このアメリカのシラケた感情と怒りにも似たいらだちが、今現在の日米関係に徹底的な影響を及ぼしている。


1945年(昭和20年)8月、広島と長崎に原爆を落とされてから、日本はアメリカに盾突くようなことは考えてもみなかった。アメリカに盲目的に従っていれば、日本国土の復興、経済の復興、国防などはすべてアメリカが面倒を見てくれた。


アメリカは自国の国益に合ったから、日本の再建に手を貸した。アメリカとソ連の敵対関係、すなわち「冷戦」は、日本にとっては「富の女神」だった。




西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第4章 富国日本の現状−8