ワシントン大学大学院


ワシントン大学は「大学院大学」といわれ、全学生数が3万5千人ほどいるが、その半分は大学院生だ。この大学はアメリカ西海岸での4大学の1つである。他の3校はカリフォルニア大学バークレー校、その近くにあるスタンフォード大学、そしてカリフォルニア大学ロスアンジェルス校(俗にUCLA)。他にもすばらしい大学があるが、この4校がでっかい総合大学で、かつ有名だ。

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ワシントン大学の様子


私は男子寮に入った。ルームメー卜は「日本語」を専攻していたアメリカ人、20歳の1年生、ポール君。彼の日本語会話力は私の英会話力と同じぐらいで、ほぼ皆無。お互いに助け合った。

北村君のほかにもう1人、日本人が寮にいた。東大の法学部を一番で卒業し(ウワサ)、フォード財団から奨学金をもらっていた弁護士の井原一雄氏だ。彼は私と北村君から「先生」と呼ばれ、私たちは彼からいろいろと説教を聞かされた(今、東京の丸ノ内に弁護士事務所を持っておられる。私は無料で助言をたびたび頂いている)。


新たな学問に挑む


私は当時、アメリカで新しく成長してきた分野の「コミュニケーション学」を学ぶつもりで、その大学院の修士課程に入った。

コミュニケーション学は政治学、社会学、心理学、人類学、歴史学を総合した分野で、伝統的な専門分野の「カべ」を取り除き、アメリカの大学に新風を吹き込んだ。"Interdisciplinary"と名づけられた学術研究のアプローチだ("Interdisciplinary"は日本語で"学際"と略されているが、もっと良い訳はないものか)。

最初のクラスは、「プロパガンダードイツ・日本・アメリカ」のタイトルが付いていたゼミ。院生が、私を含めて6人で、全員男性。アメリカ人の秀才ってのは、こんな面をしているのかなと思っていた。


エデルスタイン教授


私のゼミ担当教授はドクター・アレックス・エデルスタイン。彼はものすごく速くしゃべり、おもしろい発想をポンポンと投げかけてくる教授だった。最初のゼミ。自信喪失の2時間だった。頭の中が真っ白になるというのは本当にあるのだ。

エデルスタイン教授が「ブロパガンダ」(今、はやりの「マインド・コントロール」)の「定義は何か」とゼミ生に質問したと同時に、秀才院生たちは競うように自分の考えをしゃべり出した。話すスピードの速いこと。1人がまだ話しているのに、あたかもケンカをしかけるように、また1人が割り込む。

アメリカの「ケンケンゴウゴウ」とはこれだなと思いながら、私は自分の考えを英語に翻訳して、これで文法的に正しいのかなと考えているうちに討論の課題は次に移っていた。何に移っていったのか覚えていない。


西鋭夫著『富国弱民ニッポン』

結び/後記 富国日本の現状−6