blog146.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

幕末に活躍したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1769〜1866)は、ドイツの医師で博物学者。

長崎の郊外に鳴滝塾を開いて医学と蘭学を教え、高野長英をはじめとする著名な弟子たちを育てた。シーボルトは、日本近代医学の父とも呼ばれている。

しかし、シーボルトが帰国をする際、当時の最高機密である「日本地図」を持ち出したことが発覚。国外追放となったものの、彼はオランダで「日本学」(ジャパノロジスト)の権威となる。

シーボルトが研究拠点としたライデン大学は、今でも日本研究の大御所として知られています。

ピアノと日本


シーボルトは日本地図をくすねましたが、1823(文政6)年に来日したシーボルトは、ピアノ(イギリス製)を日本にもたらした。

日本は、舶来品のピアノが奏でるメロディーに酔いしれ、西洋の文明に触れた。

シーボルトのピアノは日本最古のものとされており、現在でも山口県萩市の「熊谷美術館」に展示されています。シーボルトが帰国の直前、友人で豪商の熊谷五右衛門義比(くまや ごえもん よしかず・1795〜1860)にプレゼントしたからです。

音楽と軍隊


1850年代になると江戸幕府は西洋音楽を取り入れ、欧米の音楽家たちを高給で雇いはじめます。というのも幕府は、軍隊を西洋式軍備へと刷新しはじめたからです。国内の治安維持に強い軍隊が不可欠だった。

どうして、軍隊と音楽に関係があるのか?

なぜなら、音楽と軍隊は、切っても切り離すことができない関係だったからです。無線やインターネットのなかった時代、音楽は通信手段や命令の伝達に使われていた。

明治の学校教育においても、音楽は教科の一環として教えられはじめます。1900(明治33)年には、日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)が初めて国産のピアノ製造に成功。西洋音楽の象徴であった高級品のピアノは、徐々に日本に浸透してゆく。

日米大戦に突入し敗戦を喫して、アメリカの占領期を脱し、高度経済成長を迎えた日本では、豊かさのシンボルがピアノでした。ピアノは「一家に一台」と言われるほど、身近な楽器になっていったのです。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・Raja Adal. Beauty in the Age of Empire: Japan, Egypt, and the Global History of Aesthetic Education. New York: Columbia University Press, 2019.