ヴェトナムとヒッピー


1960年代から1970年代のアメリカで最も強烈な社会現象は、ヴェ卜ナム戦争の激化と「ヒッピー世代」の台頭だろう。アメリカの社会を永久に変化させた、これら2つの「大改革」を語ることなしに、アメリカを語ることはできない。

私がワシントン大学に行った時は、22歳だった。

1960年の安保騒動を経験した私にとって、ワシントン大学の広大で息をのむほど美しいキャンパスは牧場のような「園」に思えた。「学生運動」("Student Movement")という単語もなかった時だ。


大学生たちの無関心ぶり


フランスの植民地であったインドシナ(ヴェトナム、ラオス、カンボジア)の歴史を少し知っていたので、「今、アメリカ陸軍の"Adviser"たちが南ヴェトナムで戦争に加わっているけど、君たちどう思う」とアメリカ人の学生に尋ねてみたら、「このアジアからの留学生、何を言っているのだろう」といった顔で私を見つめ、会話にもならなかった。

当時、裕福なアメリカで、学生たちの大学生活で「主要な課題」は勉強とデー卜だけだったのではないだろうか。世界の各地で勃発していた武力紛争や自然破壊(例えば、アメリカの頻繁な原水爆実験)に関して、あたかも別世界の事柄として無関心だったし、同時に、アメリカが世界の中心であり、富の象徴であり、アメリカが世界の秩序を維持していると確信していた。

さらに、ソ連だけがアメリカの平和を脅かす国で、ソ連をやっつければ全世界に永久平和と繁栄が訪れると思っていた。


「言論の自由」とは


ところが、1964年末、カリフォルニア大学バークレイ校で、学生の間で「言論の自由」問題が起こった。学生新聞の記事について、大学側が文句をつけ強権的な圧力をかけ、学生の言論を統制しようとしたため、全キャンパスを巻き込む事件に発展した。


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学生のストライキ、学生間での「自由」についての討論などが連日続き、学生たちがあたかも白昼夢から目が覚め、初めて自分たちの力を「自覚」したという雰囲気だった。

バークレイ校の「学生運動」が全米に広がり始めた時、ヴェトナム戦争の記事もアメリカのマスメディアに現れだした。


西鋭夫著『富国弱民ニッポン』

結び/後記 富国日本の現状−17