戦死者


ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺(1963年11月、テキサス州ダラス市)後、大統領になった元副大統領のジョンソン(テキサス州出身)はヴェトナム戦争を速やかに終結させるため、アメリカ兵をドッと送り込んだ。北ヴェ卜ナムへの空爆も始めた。戦線の拡大である。

戦死して棺の中に入れられ、帰国する米兵が急増した。全米のキャンパスで反戦運動が湧き起こった。

戦死していった若者は黒人、ヒスパニック(メキシコ系)の人たちが多く、彼らは大学へ進学したことのない者だった。当時、大学に在学していれば兵役は免除だった。


ロバート・ケネディ暗殺


「これは不公平だ!」と、大学生に問題提起をしたのがロバート・ケネディ。彼はジョン・F・ケネディの弟で、次期大統領選挙でジョンソンに挑戦を宣言した男だった。

ロバート・ケネディは全米の大学生に絶大の人気があり、彼の指摘した「不公平」に反対する者はいなかった。大学生への特別な免除は取り消しになり、適齢期の大学生たちがクジ引きで兵役に就かされた。

ロバート・ケネディは、次期大統領に選ばれるのが確実だと思われており、カリフォルニアの選挙に大勝した夜(1968年6月5日)、テレビ・カメラが喜びに酔いしれている群衆に囲まれたロバー卜を写している最中に、またも拳銃で暗殺された。その3ヶ月前、ジョンソン大統領は立候補しないと宣言していた。


反戦運動


黒人解放運動の「救世主」であったキング牧師も白人に暗殺された。アメリカは暗黒時代に落ち込むのではないかと思われた。事実、暗黒であった。


ヴェトナム戦争は激化し、アメリカの白人の中産階級の若い男たちが死んでいく。両親たちが反戦運動に加わってきた(1967年10月に全米30都市で集会やデモが行われ、特に同月21日にワシントンDCで開かれた反戦集会には7万人が集まった)。


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警察隊と反戦学生デモとの衝突もたびたびあり、ケント州立大学でのアメリカ陸軍予備軍兵の発砲によって大学生が撃ち殺された事件は、アメリカの反戦運動にさらなる火をつけた。


西鋭夫著『富国弱民ニッポン』

結び/後記 富国日本の現状−18