blog153.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

「岡崎君も立原道造のような論文を書けるようになってもらいたい」

大学院生の頃、ある指導教官から言われた言葉だ。

当時、私は22〜23歳。研究者のスタートラインにも立っていない。焦る気持ちで身勝手な文章を書いていた。いまから振り返ってみると「論文」ではなく「感想文」である。夜郎自大だった。

「読み手」を説得する技術も論証も持ち合わせておらず、既存の研究も充分に消化しきれていない。しかし、若かった私は、論文の型や形式にとらわれることなく、自由な文体を追求したかった。もちろん、後に深く反省するのですが、自由な文体と思われていた研究者や作家は、緻密な論理構造のもとで自由を装うスタイルを確立していたのです。

夭折


立原道造(たちはら みちぞう・1914〜1939)の論文を読んでみなさいと言われても、立原という研究者の名前を聞いたこともない。それもそのはず、彼は詩人で建築家であった。

立原道造は東京帝国大学建築学科を卒業し、中原中也賞も受賞。しかし、結核により24歳の若さで夭折。多くの詩やスケッチを残した。

文京区の東京大学の近くに「立原道造記念館」があったが、惜しまれながらも2012年に閉館。当時は「立原道造記念館」「弥生美術館」「竹久夢二美術館」が隣接していた。

廃墟の美学


立原の「卒業論文」を読めば、当時の大学生のレヴェルの高さが分かるであろうと諭されていた。「方法論」という論文だ。改めて読んでみても難解である。

2010年に筑摩書房から『立原道造全集』(全5巻)が刊行されたが、残念ながら「方法論」は含まれていない。1972年の角川書店版の全集に収録されている。

立原道造の建築論は「廃墟の美学」とも云われる。建物は完成した瞬間から、時の流れと共に朽ちゆく運命にある。時間軸を無視して、建造物を切り取った絵のように「静的」に捉えるべきではない。人間にも生と死があるように、建造物もいずれ自然に還るのであり、崩れおちる瞬間に「美しさ」があると説く。現代とは逆行したような価値観である。立原は、「藝術のための藝術はどこにもあり得ず、許されず、又、存すべきではないであらう」と述べています。

立原の視点から見れば、街並みや歴史を省みずに立派なデザインの建築物を創ったとしても、時間が過ぎゆけば異様で奇抜な建物になりかねない。そこに「廃墟の美学」はない。迷惑で非常識な建物と煙たがられる。

「美」とは「全体の調和」であり、他の関係性で成り立ち、時間と共に存在するのです。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・立原道造「方法論」『立原道造全集第4巻―評論・ノート・翻譯』(角川書店、1972 年)