blog156.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

病院で診察を受けると、なぜお医者さまは、患者に処方箋だけを渡すのだろうか?

一緒に薬も欲しい。わざわざ薬剤師のいる薬局に行かなければならない。時間の無駄のように感じるし、薬代は別会計になる。なぜだろう、、、

きっと、あなたも一度はこのように感じたことがあるはず。

はたして、この原因はどこにあるのか。

医師と薬剤師の役割が明確にされ、「医薬分業」が急速に進んだのは戦後になってから。この背景には、GHQの政策が深く関わっていたのです。

薬師


日本の医師は「薬師」(くすし)と呼ばれていた時代がありました。

医師は病人を診察し、調合した薬を与える。その見返りとして代金を受け取ることで、日々の生計を立てていました。

当時、医師が処方していた薬の主成分は重曹。医師は、身内の人間に頼み、あるいは自ら薬を調合して患者に売っていた。

もちろん、明治の幕開けと共に、日本の近代化が進められ、明治政府も医療制度の構築を試みます。医師と薬剤師の役割を区別すべきだと答申。だが、根本的な問題を抱えていた。

薬剤師の人材が不足していた。そのため、日本の医薬分業はしばらくの間は「任意扱い」とされ、多くの医師は従来通り診察して、投薬することで薬代を徴収していたのです。

GHQによる医薬分業の勧告


敗戦を迎えたことで、日本の医療体制は大きな変革を遂げます。GHQは、日本の硬直した医学部の支配体制と病院施設をみて愕然としたのです。

日本の医学を改革するには、どこに手をつけるべきか。その一つが、GHQによる徹底した「医薬分業」の導入でした。医師は薬の処方箋を書き、薬局で薬剤師が処方箋に従った調合をすべきである。

もちろん、既得権益を持っている医師たちは猛反発します。GHQは医師からの反対に対して、説得を試みます。医者は薬を売ることで利益を得るのではなく、遠回りではあるが、医学知識と医療の質の向上によって、収入を増加させるべきだと。

言うまでもなく、医師が、医学と薬学を同時に学ぶことは大変なことです。薬学の多岐にわたる規則を習得するには、限界があります。

GHQは「医」と「薬」を分業することで、より高度な医療が達成できると考えた。こうして、「医薬分業」は日本に根づいてゆくようになったのです。



ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました
・厚生省医務局編『医制百年史 記述編』(ぎょうせい、 1976年)
・クロフォード・F・サムス『GHQサムス准将の改革』(桐書房、2007年)