blog158.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

日本の敗戦直後、宮内省とGHQの非公式の連絡役をしていた人物がいる。

それが、日本文化に精通した俳句研究者レジナルド・H・ブライス(Reginald H. Blyth・1898〜1964)。

1898年にイギリスで生まれたブライスは、ロンドン大学卒業後、朝鮮の京城帝大予科や金沢県の第4高等学校で教鞭をとった。日本人女性と結婚して日本で一生暮らすために日本国籍取得を希望したが、太平洋戦争が勃発したため、「敵性外国人」扱いを受けて神戸で約3年半の拘留生活を送った。

日本の敗戦後、ブライスはGHQに職を求め訪問しているが、東京帝大教授・斎藤勇(1887〜1982)の紹介で学習院の英語教師として採用。その後、学習院だけでなく東京大学や日本大学でも教鞭をとり、学問的にもブライスの著書『禅と英文学』は現在でも読み継がれている。

人間宣言


実際、ブライスは、どのような黒衣役をしていたのか?

1945(昭和20)年11月以降、ブライスは週2回ほど宮内省の公車でGHQを訪問。その際、情報・教育・宗教などを管轄するGHQ民間情報教育局のハロルド・G・ヘンダーソン陸軍中佐(Harold G. Henderson・1889〜1974)と知り合う。

ヘンダーソン中佐は、コロンビア大学で日本文化や詩の研究をしていたので、互いに日本文学について語り合う。

1945年12月上旬、ブライスはヘンダーソンに「天皇は自分の神格化を否定したい意向」であるとを打ち明ける。

ブライスはヘンダーソンに草案の提示を求めた。ヘンダーソンは、あくまでも「個人的・非公式な提案」として、起草案をブライスに手渡した。これが、「人間宣言」の布石になる。このあと、多くの要人が草案執筆に関わる。

焼却された原案

ブライスらによって「人間宣言」が作成されていることは、昭和天皇の耳にも入る。12月19日、宮内省から「陛下のおぼしめし」として、「五箇条の御誓文」が添えられた詔書案が手渡された。

ときを同じくして、ブライスを通じてGHQにもこの草案が届けられる。一読したマッカーサー元帥は「びっくり仰天した」といわれている。

宮内省から要請を受けていたブライスは、草案のオリジナルを「自分の目の前で焼くように」と懇願した。ヘンダーソンはこの求めに応じて、直筆の草稿を焼却した。

ブライスは沈黙を保ちながら、 1964(昭和39)年に亡くなる。

ブライス逝去の報を受けたヘンダーソンは、次のように追悼した。

私たちは「マッカーサーと宮内省の秘密裏の連絡ルート」を作っており、ブライスは「天皇の神格放棄に責任ある」立場にいた。しかし、「そのことによる諸々の事柄に関しても、彼は決して正当な評価」を受けていない。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・学習院百年史編纂委員会編『学習院百年史 第三編』(学校法人学習院、1987年)
・ウィリアム・P・ウッダード『天皇と神道』(サイマル出版会、1988年)
・川島保良編『回想のブライス』(回想のブライス刊行会事務所、1984年)
・吉村郁久代『R・H・ブライスの生涯 禅と俳句を愛して』(同朋舎出版、1996年)
・Henderson, Harold G. 1962. The Reminiscence of Harold G. Henderson. Oral History Research Office Columbia University, Columbia University Oral History Collection, New York, USA.