blog165.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

新型コロナウィルスの影響で、母国に帰国することが出来ない駐在員や旅行者が続出しました。日本政府は臨時便や特別便を出して、在外邦人を受け入れたことは記憶に新しい。

はたして、戦争が勃発したとき、私たちは無事に母国に戻ることができるのでしょうか。

1941(昭和16)年、日米大戦の勃発により、敵国に取り残された外交官や関係者たちは、どのような運命を辿ったのか? そして、日本国内に居たアメリカ人外交官たちの行方は、、、

駐日大使ジョセフ・グルー


真珠湾攻撃が行われた1941(昭和16)年12月8日、東京に居た駐日大使ジョセフ・C・グルー(Joseph C. Grew・1880〜1965)はアメリカ大使館に軟禁されてしまう。

ジョセフ・グルーは1880年、ボストンの上流階級の子として生まれた。 名門グロートン校からハーヴァード大学に進学し、国務省に進み外交政策を担う。国務省内でナンバー2の地位である国務次官を歴任し、トルコ大使を務めて、1932(昭和7)年2月から1941(昭和16)年12月まで駐日大使を務めた。

グルー大使は、戦争回避のために日米関係の円滑化に力を尽くし、アメリカの対日経済制裁は、戦争の危険が増大すると警告していた人物である。グルー大使の拘留生活は、半年以上つづく。

滞日十年


アメリカに滞在していた日本の外交官たちも、真珠湾攻撃が起こるとすぐに拘束される。日米大戦の真っ最中、両国の間で「人質」の交換交渉がはじまる。

日本の駐米大使である野村吉三郎や来栖三郎らとの交換条件のもと、日本に駐在していたグルー大使ら大使館の職員や家族たちの帰国が許された。この時グルー大使はすでに62歳。

1942(昭和17年)6月25日、「日米交換船」で横浜からアメリカに出航。アメリカに帰国後、グルー大使は日本の肩を持つような態度をとったので猛反発を食らう。

アメリカで日本への理解を深めるためグルー大使は、『滞日十年』(Ten Years in Japan)を1944年の春に出版。『ニューヨークタイムズ』紙のベストセラーリストに載るほど好評を集めた。邦訳は終戦後、日本が占領されていた1948(昭和23)年に毎日出版社から出版された。

日本と縁の深いグルー大使は、1945(昭和20)年に引退するまで、セオドア・ルーズベルトからハリー・トルーマンにいたる8代の大統領に仕えた老練な外交官である。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・Masafumi Okazaki. "Pride and Prejudice: Joseph Clark Grew and Jane Austen," International Cultural Expression Studies, Vol. 2, 2006.