blog169.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

世界の国々は「国歌」を誇りとし、式典の際には必ずといってよいほど国歌が斉唱されます。私たちは「国歌」が身近にあり、当たり前のように存在していると捉えがちです。

一歩立ち止まって考えてみると、国歌は、なぜあるのでしょうか?
そもそも、「国歌」という概念は、いつごろ生まれたのでしょうか?

このような問いをいきなりされると、答えに窮してしまうものです。

「君が代」誕生


日本の国歌「君が代」に深く関わったのは、イギリス人のジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton・1831〜1890)という人物です。軍楽隊員のフェントンは、薩摩藩で軍楽隊「薩摩バンド」を指導したことでも知られる。

このフェントンが大山巌(おおやま いわお・1842〜1916)に、明治日本に「国歌」がないのは残念なことだ。イギリス国歌「God Save the King」(国王陛下万歳)があるように、日本も「国歌」を創るべきだと提案。外交儀礼からみても、国歌は欠かせない。

ゼロの状態から国歌を創りだすことは難航を極める。そこで、「古今和歌集」の和歌から引用することになり、フェントンが作曲を担当した。これが「君が代」の始まりです。しかし、フェントンの作曲した西洋風の「君が代」は、日本人の耳にどうも馴染まなかった。評判が芳しくない。

宮内省は新しい作曲を、ドイツ人のフランツ・エッケルト(Franz Eckert・1852〜1916)に依頼する。エッケルトは、フェントンの「君が代」を編曲し、林廣守(はやし ひろもり・1831〜1896)の協力も得て雅楽調を取り入れた「新・君が代」を編み出した。

賛美歌「栄光のアポロ」


実際のところ、「君が代」の作詞や作曲は、さまざまな種類があります。フェントン版、エッケルト版、そしてもう一つ有名なのがウェッブ版。

イギリス人の作曲家サミュエル・ウェッブ(Samuel Webbe・1740〜1816)による賛美歌「Glorious Apollo」(栄光のアポロ)のメロディに、「君が代」の歌詞を合体させた楽曲です。文部省が発行した明治期の教科書には、ウェッブ版の「君が代」が掲載されています。

「Glorious Apollo」とウエッブ版「君が代」の楽譜を見比べると、音符(♪)の位置がほとんど同じで、びっくりします。まさに「和洋折衷」という言葉そのもの。明治の日本が、必死に西洋を模倣していたことは、ウェッブ版の「君が代」からも推察できます。

音楽の歴史を振り返るだけでも、日本の近代化の歩みと苦節の日々がよみがえってくる。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・Raja Adal. Beauty in the Age of Empire: Japan, Egypt, and the Global History of Aesthetic Education. New York: Columbia University Press, 2019.