blog178.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

宗教をめぐる争いは、世界各地で何千年と続いてきました。

その一方で、多神教の日本は、鎮守の森といわれるように自然にも神が宿り、包容力のある国だと思われています。

しかし、日本人の手によって、仏教の寺院や仏像が破壊されたことがあります。明治初期に起きた「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)という運動です。

廃仏毀釈は日本の宗教史の「汚点」のようなものです。なぜ、このような過ちが起きてしまったのでしょうか?

神仏分離令


明治政府の宗教政策には、幕末からの国学や水戸学の仏教排撃思想を色濃く受け継いでいました。

明治元年3月28日、明治政府は「神仏分離令」を発令。「仏像を以神体と致候神社は、以来相申すべく候事、附(つきたし)、本地仏杯と唱へ、仏像を社前に掛、或は鰐口(わにぐち)、梵鐘、仏具等の類差置候分は、早々取除申すべき事」と、神社から仏教的色彩を排除することを命じた。

地域差はあるものの、神官と民衆は「廃仏毀釈」を展開して、寺院、仏像、仏具などを破壊します。

しかし冷静になって考えてみると、命令されたからといって、仏像を破壊するものでしょうか。誰もが、躊躇するはずです。それでも、実行に踏み切った。そこには、根深い因縁があったからです。

江戸時代、民衆たちは檀家制度によって仏教寺院に管理されていました。「宗旨人別帳」(しゅうしにんべつちょう・現在でいう「戸籍」のようなもの)で、各戸の仏教宗旨を社寺に登録させ、一度登録すると変更できない仕組みでした。生まれたら、即、宗旨が決まってしまう。これに対して、恨みを抱く人もいました。

一方の神道は、仏教の影響下で低い地位に甘んじていた。このような時代背景で「神仏分離令」が出されたので、神官と民衆の鬱憤が爆発してしまった。
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五重塔


仏教から神道へと時代の大波が押し寄せてきた。これを察知した仏僧のなかには、将来、神道が有利になると考え還俗(げんぞく)し、神社の宮司に転身するものもいました。

奈良興福寺の「五重塔」は25円で売却されてしまう。買取主は、金具を取るために五重塔を焼却しようとした。ところが、近所の住民は大反対。五重塔が文化財として貴重だから反対したのではありません。火が燃え移ることを恐れたからです。こうして、五重塔は運良く現存します。

明治政府は、神官と民衆を抑えこむため「神仏分離令」は廃仏ではない。こう布告せざるを得ないほど追い込まれ、事態は深刻化していたのです。


ー岡崎 匡史


PS. 以下の文献を参考にしました。
・村上重良『天皇の祭祀』(岩波書店、1977年)
・安丸良夫『神々の明治維新』(岩波書店、1979年)