blog181.jpgFrom: 岡崎 匡史
研究室より

「マッカーサーと大学改革」の続きです。

立教学院の三辺総長は、苦渋の演説をして大学運営を切り盛りしていた。

三辺総長らの追放劇には、戦前、立教大学教授で日本聖路加病院のために募金活動をしたことでも知られるポール・ラッシュ(Paul Rusch・1897〜1979)という人物が関わっていた。

ラッシュは、米国聖公会宣教師の最後の一人として日本で活動していたが、警察に拘留され、1942(昭和17)年6月、米国に強制送還。

立教大学はラッシュに、「当学の教授として17年の長きにわたり、貴殿は学生をよく導き、大学の設立理念を忠実に実行し、多大な宗教的影響を与えられました。貴殿が作られた記録、貴殿が達成された成果に対して、我々は心から感謝するしだいです。このたび母国に帰られるにあたり、貴殿の長年にわたる忠実な働きに対する我々の感謝の意をここに謹んで記します」と、公式の感謝状を贈っている。

ラッシュの再来日


日本の敗戦に伴い、ラッシュはGHQ参謀二部の将校として再び来日した。1945(昭和20)年9月11日、ラッシュは立教大学を訪れ、荒れ果てた大学と反キリスト教教育を目の当たりにして激怒した。

「教職追放」の決定権はGHQの民間情報教育局 (CIE)教育課にあったが、ラッシュは正義感に駆られて役職リストから面識のない人物を選び出し、強引に「越権行為」をして教職追放を実施したのである。

ラッシュは教職追放をした後でも、「若(も)しも立教にして創立者の精神に立ち返ることが出来ないとするならば、かゝる学校は原子爆弾を投げて潰してしまはなければならない」と怒りを露わにしていた。

越権行為


ラッシュの「越権行為」について、当時の事情を知っている人物がいる。

GHQの職員ブラッドフォード・スミス(Bradford Smith)です。彼は、ラッシュの行動を止めることができなかったことに対して、個人的に責任を感じており、CIE局長のドナルド・R・ニューゼント中佐(Donald R. Nugent)に対して次のように苦言を呈していた。


この命令(罷免の指令)は全く非民主的、独裁的なものであり、日本にもたらそうとしたアメリカの民主主義をたいへんまずい形で示してしまった・・・罷免された11名は、いかなる陳述の機会も与えられず、一方的証拠により処分された・・・何の審問もなく、法的な手続きもなく、一人の人間を有罪とするというのは、アメリカの正義ではない。


大学の民主化と追放劇の背景には、信教の自由と平等を求める動きだけでなく、独断と偏見もあったことは疑いがない。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・財団法人キープ法人編訳『清里に使して』(財団法人キープ協会、2003年)
・山本礼子『米国対日占領下における「教職追放」と教職適格審査』(学術出版会、2007年)
・老川慶喜、前田一男編『ミッション・スクールと戦争』(東信堂、2008年)