日本人は12歳のガキ

朝鮮戦争の戦略をめぐり、トルーマン大統領に楯突き、解任された後、マッカーサーは、大英雄として帰国した。

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ホノルルでも、サンフランシスコでもニューヨークでも、彼の行く先々で盛大な歓迎会が行なわれた。それを十分堪能した後、彼はアメリカ上院軍事委員会と外交関係委員会との非常にまれな合同公聴会に出席し、日本人について評価を下した。


「もしアングロ・サクソンが、科学、芸術、神学、文化などの分野において45歳だとすると、ドイツ人は我々同様十分成熟している。しかし、日本人は歴史の長さにも拘らず、まだまだ勉強中の状態だ。近代文明の尺度で計ると、我々が45歳であるのに対し、日本人は12歳の子供のようなものだ。」

「勉強中は誰でもそうだが、彼らは新しい手本、新しい理念を身につけ易い。日本人には基本的な思想を植えつけることができる。事実、日本人は生まれたばかりのようなもので、新しい考え方に順応性を示すし、また、我々がどうにでも好きなように教育ができるのだ」


マッカーサーは、「12歳の単純な日本人の心」を巧みに操るために、彼が目に見えぬ存在になればなるほど、日本人の権力に対する伝統的な態度に支えられて、マッカーサーの権威はより一層拡大していた。

彼の歌舞伎役者のような仕草と宣教師並みの熱情は、征服者の風格という「姿」を一層鮮やかにした。彼はこの非民主主義的な「方程式」に気づかなかったのだろう。

夢見るマッカーサー


ジョン・ガンサーが、マッカーサーを「太平洋のシーザー」と呼んだのはまさに的を射ている。

事実、マッカーサーは、自分をアレキサンダー、シーザー、ナポレオンと比較し、自分の方が上だと思っていた。自らを疑うことなく、自分の使命の純粋性を信じたことは、非凡な指導者としての強さとなり、彼に独裁的な政治を続けさせる力ともなった。

マッカーサーは、自分がなし遂げた偉大な業績を疑わなかった。

1951(昭和26)年5月、彼はアメリカ上院議会で「偉大な社会革命がそこ(日本)では起きた」と述べ、自分が始めた「日本革命」は、「イギリス国民に自由を齎したマグナ・カルタ、フランス国民に自由と博愛を齎したフランス大革命、地方主権の概念を導入した我が国の革命(独立戦争)、我々が経験した世界の偉大な革命とのみ比べることができるのだ」と断言した。