ガリオア基金


1949年12月、マッカーサーは、アメリカ海外援助基金のうち対日援助金の大幅削減という事態に、また直面した。

今回は、フランク・ペース予算局長が、ガリオア基金(アメリカ陸軍予算の占領地域に対する救済資金)の内、対日経済援助はこれまでの3億ドルから9700万ドルに削減するという。

12月16日、マッカーサーは激しい怒りを矢のごとく打電した。

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「占領政策に対し、また極東の民主化促進に対しても、これ以上、悪意に満ちた攻撃は考えられない。この重大な国際危機の時代にアメリカが財政援助を取り消 すことを真剣に考えているとは全く信じられない。この削減がなされれば、日本の復興を完全に潰してしまい、ひいてはアジアにおけるアメリカの指導的役割を放棄することになろう。我々が慎重に考慮し、提出した対日見積予算案から70パーセントも削減する措置は理解できないし、東洋人には政策の放棄としか理解されないだろう」


このマッカーサーの怒りは、ボルヒーズ陸軍次官宛の5頁に亘(わた)る個人的電報の中に続けられた。

翌日、ボルヒーズは、マッカーサーに嬉しいニュースを伝える。


「グレー陸軍長官(ゴードン・グレー)の個人的努力により、彼の助力はどんなに評価してもし過ぎではないほど優れたもので、BOB(Bureau of Budget 予算局)による再検討が残されてはいるが、ペース予算局長と合意に達し、大統領予算教書に、3億2000万ドルのガリオア予算が復活することになりました」。


2000万ドル多くなっている。

救済基金という名の借金


対日ガリオア救済の、1945年9月から1951年6月までの総額は、20億ドル。

日本はこれを、マッカーサーとアメリカ政府からの贈与と思っていたが、占領が終わり、1953(昭和28)年に、アメリカ政府は返済を要求した。1973(昭和48)年までに日本は、4億9000万ドルを返し、それで手が打たれた。

マッカーサーは、ワシントン官僚連中を無知な集団で、日本の知識に欠けているのに、介入することだけには才能を発揮し、結果的に、自分の偉大な業績を邪魔する輩(やから)と見ていた。彼の見解は変わることはなかった。

皮肉にも、プリンストン大学とハーバード大学卒の文官ペース予算局長は、1年4カ月後(1950年4月)、38歳で陸軍長官に任命され、20世紀の偉大な軍人マッカーサー(70歳)の「上官」となる。

この2人の関係は、朝鮮戦争(後述参照)での戦略を巡り、マッカーサーが解任されるまで続く。