不敬罪



日本共産党は、野坂を迎えて活気づき、昭和天皇は少なくとも退位し、皇太子へ譲位すべきである、と党中央委員会は声明文を発表した。

日本の保守層にとって、共産党の公然たる天皇攻撃は、死刑にすべき不敬罪と映った。現に、共産党機関紙『アカハタ=AKAHATA』の編集局長は、不敬罪で訴えられたが、検察当局は1946年10月9日、同事件の起訴を取り下げることを決めた。

同日、マッカーサーはこの起訴取り下げを「新憲法の基本精神に沿った注目すべきものだ」と称賛し、「新憲法下では、あらゆる国民は法の下に平等であり、たとえ天皇でも普通の国民以上に法律上の保護は与えられない」と言った。


AKAHATA


マッカーサーはこの事件を、日本国民に民主主義を教育する良い機会と考え、「政府高官や政治制度を自由に批判することが、民主的政府の生存と成長にとって最も大事なことである。民主主義は......全ての国民が自分の考えを自由に主張できないようでは、生き残ることができない」と強調した。

こうした雰囲気の中では、マッカーサー司令部もアメリカ政府も共産主義を嫌悪しているとは、共産党主義者たちは思ってもみなかったのは当然かもしれない。

『赤旗』は、1946年1月8日、『アカハタ=AKAHATA』に改名された。カタカナ・ローマ字論者の徳田球一の発案である。


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1947年7月16日、このローマ字をとり、『アカハタ』になる。『赤旗』に戻ったのは、1966(昭和41)年2月1日。

共産主義者を刑務所から釈放した数日後に、マッカーサーは、トルーマン大統領の中国経済復興の特使エドウィン・ロックに、「共産主義者の地下活動を憂慮している。日本の進歩派の多くは共産主義に同調しており、日本の共産主義者はモスクワによって指導されている」と語っている。