真相


マッカーサー自身は、憲法改革にどれほど関与していたのか。

「私は憲法問題調査委員会の審議に全く関与しなかった。私の部下も誰も関与しなかった」とマッカーサーは『回顧録』の中で断言している。

彼の回想は、己の偉業を護るための大失態の隠蔽か。

1946年(5月頃)、マッカーサーはバーンズ国務長官に、自分がいかに深く憲法問題に関与しているかを説明する。

「初期の段階から幣原内閣の草案ができる1946年3月4日まで、私は頻繁に大臣たちと個人的に会い、憲法改革に必要な諸原則につき説明をした」。

マッカーサーの幕僚の関与についても、「この初期の段階で、政治顧問(アチソン)は国務省の指令で日本の政治指導者と会談した」とバーンズ長官に報告している。

マッカーサーとアチソンは、松本憲法問題調査委員会が、幣原内閣の閣僚たちと密接に協議しているのを十分知っていたので、彼らもまた大臣たちとたびたび私的協議を行なったのである。

これらの会合で、日本政府の考え方を正確に把握することができた。


「近衛悪夢」


アチソンは早くも、1946(昭和21)年1月7日、マッカーサーに警告する。

「政府案(松本案)は、現憲法(明治憲法)の最初の四条について原則的に手をつけないことになっております。これら四条は、我々が(敵として)戦ってきた神聖日本国の礎石であり、柱です」

「現政権下では、自発的な民主的政府を形成できるような改正は望めません」

と嘆き、既にGHQが直接介入することを仄めかした。

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「近衛悪夢」が彼らを悩ませていたのだろう。