自由の聖書・御誓文


天皇も、このような国情を十分認識しておられたのだろう。祖父である明治天皇の、1868(慶応4)年の「御誓文」が引き合いに出された。

だが、この御誓文は、明治維新を成し遂げた若者たちが「天皇・皇室の栄光」を夢見て書き上げた宣誓であった。確かに、慶応4年3月14日に出されたこの誓文は「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と述べてはいたが......。


171.jpg御誓文


天皇陛下が御誓文を、「自由の聖書」として将来の日本に役立てようと唱えたことは、マッカーサーを失望させた。

日本の指導者が民主主義を表面的にしか理解していないと思ったからだ。


健全さの所在


同様に、第六軍司令官シーフェリンが、京都の教育家に書かせた新勅語でさえ、我々臣民は「御誓文」の真の意味を把握し云々、と述べている。

屈辱的な敗戦ではあったが、日本帝国政府は天皇大権に変革があるべきだとは思ってもみなかった。彼らの目には、民主主義と天皇神格との間には何等の矛盾もなかったのだ。

マッカーサーは、

「天皇の新年声明は真に喜ばしいものである」

「天皇神性否定は健全な思想は抵抗し難いものであると言うことを鮮やかに証明している。健全な思想は止めようとしても、止めることができないものである」

と述べた。


文相の抵抗


にも拘らず、前田文相は1月8日、天皇の人間宣言について極めて感情的な訓令を全知事と学校校長に発している。その要旨は次のようなものだった。

「天皇陛下が恐れ多くも国民に対し、現人神という間違った考えから我々をぬぐい清めることによって、皇室と臣民との間の密接な関係を実現できる道をお教えになったことに、恐懼せざるを得ないのであります。」

「我々国民は『明治の国是五箇条の御誓文を遵守し......平和主義に徹し、文化の水準を昂め』るべきであります。『古来家を愛するの心と国を愛する心とは、我が国民道徳の特長』であるが、今後はこの愛を拡大して『人類愛にまで完成』しなければならない。」

「我が国の『純正なる君民の関係は......架空なる神話伝説、偏狭なる民族優越感によりて成るものにあらず......』。私は、天皇陛下のご意思の大きさに深く感激し、今まで以上に天皇への献身に励む願いにかられているのであります」