宗教部からの批判


教育勅語に関して宗教部のバンスは、手厳しい発言をした。

「1890年の教育勅語は日本人のラジカル(即ち、民主的)な傾向を押さえ込む目的で書かれた儒教的な文書である」

「国家神道の聖書だ」

「軍国主義者たちや超国粋主義者たちは、この勅語から(戦争遂行の)精神的弾薬を得ていたのだ」

当時、国会で「マッカーサー憲法」の審議が行なわれていたので、バンスは

「どんなに広く解釈しても、教育勅語は新しい憲法草案の精神から外れている......公立学校で読み上げられるべきではないし、ましてや、教科書に入れられるべきではない。大学では歴史的文書として組み入れられてもいいが......」

と強い意見をはいた。天皇の写真について、

「文部省は学校で天皇の写真に生徒を礼させるのは禁じなければならない」

と提案している。


割れた見解


良識のあったヘレン・ミアーズは言う。

「日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が『国旗に忠誠を誓う』のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない」。

オア教育部長は、部下たちにジョージとバンスのメモの検討を命じた。

CIE初代局長ダイクが日本降伏直後(10月15日)に破格の月給3200円(当時の大学教授の月給は300円)で雇ったイタリア人顧問アルンデル・デル・レは、オア部長に「新しい教育勅語が極めて望ましい」と主張した。

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高等教育課のエドウィン・F・ウィグルワースは、オア部長に

「新しい教育勅語などは不必要だ。新しいものが出来たら、害悪さえあろう」

と警告している。