スターリン vs. マッカーサー


戦前、そして戦時中、徹底的な弾圧を受け、それ故、終戦直後、「殉教者」の後光さえ身に纒っていた日本共産党は学生運動に積極的に参加した。

しかし共産党は、ソ連との密接な関係を否認し続けたため、自分たちを窮地に追いこんでしまった。

共産党が対ソ連関係を否定したのは、終戦間際に、背後から瀕死の日本に戦争を仕掛けたソ連に対し、日本国民が嫌悪と敵意をあからさまにしていたからである。さらに、シベリアには日本兵と満洲に移住していた日本人が多数、捕虜になり、苛酷な条件の下で重労働につかされ、次々と死んでいた。

共産党は自分たちに、かつてない自由を与えてくれたマッカーサーの怒りを買うことを避けようともしていた。


112.jpg解放された共産党員


学生の嘲笑


学生たちはこのジレンマを見て、「共産党はソ連との密接な関係を否定したため、国民の信頼をさらに失った。アメリカに取り入ろうとしているからだ。〝ソ連を支持する〟と率直にいうべきだったのだ」と批判した。

学生運動に共産党が入り込んで激化する可能性は、1945年12月の時点では、GHQを心配させてはいない。

むしろ、国務省調査分析課は頻繁に起こっていた学生ストライキについて、「大学でリベラリズムが奨励される可能性は、前田、田中両文相の下では非常に高い。大学生たちは、学園の自由を取り返すために多大な貢献をするであろう」と極めて楽天的であった。



リベラルの戦士・共産党


「リベラル」という言葉は、「民主主義」と同じく「美しい言葉」であった。

前田、田中両文相はマッカーサーの期待を裏切り、リベラルでない「日本帝国」を護ろうと努力する。

占領初期、GHQは戦争に反対した一握りの日本人たちを「リベラル」と考えていた。彼等の政治思想は問題ではなかった。

共産主義者たちは、軍国主義に対し、最も激しい攻撃を浴びせた人たちだったので、彼等は最もリベラルであった。