早稲田の英雄


亡命生活十五年の大山夫妻を乗せた米船マリン・スワロー号は、1947年10月23日午後9時半、横浜港のメリケン波止場に入港した。

多数の新聞記者やカメラマン、それに大勢の歓迎団が待っていた。

翌24日の朝、大山夫妻は高田馬場駅に現われた。そこでは、早大ブラスバンドが校歌「都の西北」を演奏し、二千人の早大生が大合唱して大山の帰国を迎えた。

駅前の三菱銀行の二階の窓から大山は、

「早稲田は......学問の自由を最後まで守った伝統ある学園である」

と学生たちの歓呼に応えた。


世界平和の使徒・スターリン


1950年、大山は参議院議員となり、その翌年、国際スターリン平和賞を受賞した。

この賞は、1950年にスターリンが制定し、世界平和に尽力した人に贈られた。

大虐殺者として、近代世界史上、誰にも引けを取らないスターリン、東ヨーロッパとアジアに戦争と残酷な圧制を次々と齎したスターリンが設立した「平和賞」とは、品のない悪質な冗談か。


政治と学問


1945年11月24日、文部省は高校、専門学校の新しい校長百四十人の名前を発表した。「軍国主義」に汚れていなかった人たちなのだろう。「日本帝国の勝利」を心から祈らなかった人たちだったのだろうか。

エマーソンは、

「大学教授は新しい学問の自由に狂喜しており、今まで固く禁じられていたことを公然と討論し始めました」

と国務長官に報告している。

早稲田大学総長の辞任は教授たちの間で、新しい総長選出を巡って激しい権力闘争を引き起こした。こういう戦いをGHQはとても健全であると見た。


滝川幸辰事件


京都帝国大学経済学部では敗戦と民主主義で大騒ぎになり、学部の全教授が辞職した。

京大経済学部は国粋主義的なことで知られ、明治維新以来、最も悪名高い「学問の自由」弾圧紛争を引き起こしたのが京大だった。

1933(昭和8)年、鳩山一郎文部大臣が、リベラルな教授たちを「危険分子」として弾圧した事件だ(法学部の「滝川幸辰事件」)。

193.jpg滝川幸辰


1946年、マッカーサーは鳩山自身を危険分子、「戦争犯罪容疑者」として追放した。

鳩山が首相になる直前であった。